出る杭は打たれる。
 
現在の日本においてもまだまだ色々なところで見られる現象である。
 
なぜ、出る杭は打たれるのか?
 
よくある説明は、日本人は同質性が高いから、とか、同調圧力が強いからというものである。
 
私は、この説明は間違っていないと思うが、もう少し掘り下げて説明した方が良いのではないかと思う。つまり、なぜ同質性が高いのか、なぜ同調圧力が強いのか、という点まで考えないと説明にならないと思っている。
 
これに対する私なりの答えは、「日本人は何かを我慢しているから」というものである。
 
人間は自分が我慢していると、我慢しない他人を見ると攻撃したくなる。なぜなら、自分が我慢していることを、我慢しない人間がいるのは許せないからである。自分が損していると感じるからである。
 
俺は、私は、みんな我慢しているのに、なぜあいつは我慢しないのか、けしからん、叩いてやれ。
 
これが「出る杭が打たれる」の正体だ。同質性や同調圧力の正体だ。
 
みな、いやいや我慢しているものがあるのである。自分が我慢しているのに、自由奔放にふるまって我慢しない他人がいると羨ましいのである。妬ましいのである。嫉妬しているのである。だから攻撃するのである。
 
私は、人間の感情のなかで嫉妬ほどやっかいなものはないと思う。
 
働いている人のうち、半分以上は、自分の仕事が実はそれほど好きではないと思います。
 
でも、人間は好きでもないことをずっと続けることができない動物だと思います。
 
それでは、仕事が実は好きではない半分以上の人はどうするか?
 
自分をだますのです。
 
「自分はこの仕事が好きだ」
「自分はこの仕事に向いている」
「自分はこの仕事が得意だ」
 
自分に言い聞かせるのです。
 
でも、実は自分が一番良く分かっています。無理があることを。そして、本当は他にやりたいことがあることを。
 
何かの言い訳を作り出し、自分のやりたいことに蓋をします。それはやるべきではない、お金にならない・・・。見て見ぬふりをするのです。
 
でも、心の底ではずっとひっかかったままです。何十年もひっかかったままです。
 
サラリーマンで、定年になった途端に絵を描き始めたり、楽器を習いだす人がいます。ずっとやりたいことをやり始めるのです。でも多分、それでは遅いのだと思います。
 
私も、3年くらい前まで、見て見ぬふりをしていました。でも、耐えられなくなりました。ずっとやりたかったドラムをはじめました。大学生のとき以来中断していたテニスを再開しました。好きなミュージシャンのコンサートには、少々高くても行くようにしました。最近のディスコリバイバルで行われるようになった、ディスコイベントに顔を出すようになりました。
 
見てみぬふりをやめたのです。
 
その結果、どうか。自分をだましていたときの方が楽です。何も考えずに済むから。ちょっときついです。自分が嫌いな仕事をしていることと正面から向き合わなければならないから。
 
でも、もう後戻りするつもりはありません。人はみな違っていて良い・・・。
自分は自分らしく生きると決めたのです。
 
50歳を超えた今、自分の人生の終わり方に思いを馳せることがあります。そのときに後悔だけはしたくない。それが、今考えている唯一のことだと言っても言い過ぎではありません。
 
「良い人生だった、やりたかったことはみなやった。」
 
そう言って自分の人生を終えることができれば最高だと思います。
人はなぜ、働くのでしょう?
 
お金を稼ぐためというのが普通の答えですね。
 
でも、私は、働いている人は以下の4つに分類できるような気がします。
 
(1)仕事そのものが自分のやりたいこと、好きなことで、仕事が楽しくて仕方がない。
  お金はその結果としてついてくる。
 
(2)仕事そのものは、自分が一番やりたいことではないが、嫌いではない。まあ、いいかなと
  思っている。
 
(3)仕事は余り好きではない、お金のために仕方なくやっている。
  でも、嫌悪感を抱くほどではない。
 
(4)仕事は嫌い、できれば辞めたいと思っている。でも、生活のために我慢している。
 
比率は上から、1:2:5:2くらいでしょうか?仮にこのとおりだとすると、10人中7人は、お金のために仕方なく仕事をしていることになります。
 
つまり、7割の人にとって、仕事はお金を稼ぐための「手段」でしかないのです。
 
では「目的」は何でしょう?
 
一見お金そのものに見えますが、違いますね。(中にはお金そのものが目的の人もいるかもしれませんが。)
 
幸せに生活すること、安心して生活すること、これが目的のはずです。
 
手段として仕事をしているあなた、手段が目的化していませんか?
日常の生活に満足感が得られない原因の1つに、この「手段の目的化」があると思います。
 
仕事をし過ぎて病気になる、というのが典型例ですね。
 
勿論、お金は大事です。私は人生の楽しみの半分は、ある程度のお金がないと味わえないと思っています。
 
「愛があればお金なんて・・・。」というのは夢物語であることは、賢明な読者の皆さんはお分かりですよね。
 
でも、手段(仕事)のために目的(幸せな生活)が疎かになっては本末転倒です。
 
結局どこかでバランスをとるしかないと思います。どこでバランスをとるかは、個人ごとに違うと思います。
 
「人はみな違っていて良い」のです。