
息子と探検してきた「江戸東京博物館」
小1息子の りょう太と2人で、江戸東京博物館を探検してきました。
ぼくは何年かぶりに久しぶりに行ったのですが、思っていたよりも広いですね。じっくりと見て回ったら、一日ではとうてい足りないです。
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今週の日曜の午後は、ぼくが りょう太を見ていることになりました。前日から「明日、エドハク(江戸東京博物館)へ行こうよ」と、言っておきました。
実は何週間も前から行きたかったのですが、なかなか行けなかったのと、りょう太に拒否られていたんです。
「エドハクって、なにがあるの?」
「いま、土偶の特別展をやってるよ。りょう太、土偶が好きだって言ってたよね?」
「うーん……りょう太くんねぇ……どぐう…そんなにみたくないよ」
そういって、顔も合わせてくれません。
チッ……前回、トーハク(東京国立博物館)で、土偶を探して館内を連れ回したのが、よくなかったようです。連れ回したことを、ちょっと反省……。
「でもさ、エドハクには大きなジオラマがあるよ」
「そうなの?」
「うん。でっかいよ」
「このくらい?」と、りょう太は両腕を広げてみせました。
「いや、そんなもんじゃないよ。この部屋のこっちから、あっちくらいまであるよ」
「えぇ〜そんなにおおきいんだ」
「大きいよ。ちょっとYouTubeで見てみようか」
そう言って、りょう太が寝る前の少しの時間、YouTubeで江戸博を検索して、テレビに映し出しました。
りょう太のなかでイメージが固まったのか…「いいよ。あした、エドハクいこう」と言ったあとに、「おやすみ〜」といって寝室へ入って行きました。
しめしめ……ということで、江戸博へ行くことになりました。
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実際に行ってみたら、江戸博……むっちゃくちゃ大きいし広いし……充実の展示内容でした。
↑ 両国駅のホームから見た江戸東京博物館。でかい! 手前のホームは、今は使われていない、通称「幻のホーム」
↑ なぜか大勢の若い女性がたむろしている国技館の脇を通って、江戸博前へ。この建物は建築家の磯崎新さんが「東京5大粗大ゴミ」に認定したとか……。まぁ、コンクリの建築に、100年以内に粗大ゴミにならない建物があったら教えてほしいです。
エスカレーターを上がって、6階へ上がっところが常設展示の入り口です。
ぼくは、常設展と特別展とを見られるチケットを買いました。息子は、常設展は無料とのことで、とりあえずチケットは購入しませんでした。
でも実は、小学生は常設展だけなら無料だけれど、チケットは発券しないとダメとのこと。2階だか3階のエスカレーターに乗るときに、係の人に言われたのですが「えぇ〜、またあのチケット売り場に並ばなきゃいけないんですか!?」と言ったら……まぁ大丈夫ってことになりました。詳細省きますが、小学生=無料ということで、発券しないで入り口まで行ってしまう人が多いようです。子どもと一緒にチケットを購入しに行ったのに、「大人の分だけで良いですか?」としか聞かれないんだから、そりゃそうだろ。
ず〜っとエスカレーターで上っていき、やっと6階の入り口です。チケットを見せて、展示エリアに入ると、いきなり「(半分復元された)江戸の日本橋(にほんばし)」がド〜ン!
橋の上からは、江戸時代の歌舞伎小屋や、明治だか大正の頃の朝野新聞の社屋などが見下ろせて、壮観です。これが建物の中だって考えると、ほんとすごい大きさです。
ぼくが写真を撮っているあいだ、りょう太はスキップして日本橋を渡り終えて、さっさと大きなジオラマに見入っていました。
ぼくも後から近づいて、ジオラマにカメラを向けていると、さっそく りょう太がぼくの腕をグイグイと引っ張って「ねぇねぇ、あそこに あんな人がいるよぉ。あっちには、こんなひとがいるよぉ。ほらっ、あそこに にわとりがいる!」と、いろいろと教えてくれます。
↑ この模型…だれが作ったんだろう。なんか、ひとりひとりが本当にどこかへ向かっているような表情なんですよね。実在した人たちを切り取ったような感じです。
↑ ここらへんは日本橋室町。いまは中央通りや三越前駅の真上あたりですね。お店の裏は、こんなにゆったりとした感じだったんだなぁ。「うだつ」も上がってます
↑ りょう太くんは、いきなりの釘付け……離れません
隣は江戸城のジオラマです。
「りょう太くん、ひとが いるジオラマが すきなんだけど…」と不満そうですが……
「りょう太、江戸城へ行ったの覚えてる? あっちの大手門から入って、あそこの門をくぐって、ぐ〜っと坂をのぼって、本丸へ行ったでしょ?」と、ぼくは江戸城ジオラマに見入りながらも、りょう太に質問をして、不満を封殺します(だって、ゆっくり見たいんだもん)。
「うん……でも、いしがき しか なかったよね」
りょう太の ノリが悪いのを 放っておいて、ぼくは写真を撮っておきました。写真を撮ろうと構えていると、りょう太が腕をひっぱってくるのがムカつきます。
江戸城のジオラマで一段落してから、周りにある説明パネルや資料などを見たかったのですが、りょう太がぐいぐいと腕をひっぱり「ここ、つまらないよぉ〜。みつい(三井=三越)の おおきなジオラマは どこにあるのぉ〜?」と、せっつきます。
「わぁ〜った わぁ〜った! 行くから、ちょっと一瞬待って! これだけ見せて!」と言って、ぼくは江戸図名所屏風だかの前に立ちました(結局、屏風の名前は不明です)。「ほら、これが江戸城だよ」とか「りょう太くんの家は、どこらへんだか分かる?(たぶん載ってないけどw)」などと質問して、息子の気を散らせる作戦を取ったのですが、まったく効果無しでした。
腕を引っ張られて、下りのエスカレーターへ向かいますが、途中に駕籠(かご)に乗れる体験コーナーがあり……「りょう太くん、これ のりたい!」とのこと。「いいよいいよ、乗りねぃ乗りねぃ」と言って、見守りました。
↑ 大手門の前にあり、今のパレスホテルの裏側、地下鉄大手町駅の真上にあった、越前福井藩主・松平伊予守忠昌の邸を再現したもの(寛永期)。同藩の初代は結城秀康、幕末には松平慶永(春嶽)を輩出。ただ、江戸時代に色々と引っ越しがあったようで、幕末の地図だと、越前福井藩の上屋敷は神田橋あたりに引っ越しています。これも、江戸は火事が多かったからかもしれないですね
りょう太の順番が来て、ワクワクしながら駕籠に乗ります。
「ねぇ、おっとー(ぼくのこと)」と言って、りょう太が駕籠の中の障子みたいなのを指差して「これにのってると、ここから かたなで グサッ ってやられちゃうことってあるの?」と(笑)。
「あるよ。そうやって やられちゃった井伊直弼っていう人がいたんだよ(笑)」と教えてあげましたが……もしかすると、大河ドラマだかの記憶が、りょう太の中に残っているのかもしれないな。岸谷五朗の扮する、井伊直弼が、桜田門外でやられたけど……グサッとやられたところが、映像化されていたかなぁ? ナレーションで「井伊直弼がおそわれました」とかって言って、終わったような記憶があるけど……。
駕籠からおりて、江戸の庶民の暮らしを再現したエリアへ。
このあたりは、ブラタモリでタモさんが歩いていましたね。
そうだ、ブラタモを見たから、江戸東京博物館を調べたら「縄文展」をやっているって知って、それでぼくは来たくなったんだった。
りょう太は「ここらへんは、テレビでやってたねぇ…」と言いながら、一つ一つ、ブラタモで語られていたことと、昨夜のYouTubeで解説していた内容を、ぼくに説明してくれます……って……「りょう太、けっこう覚えてるね?」
↑ 江戸時代の井戸。覗き込んで「水がすぐそこにあるよぉ〜」と、誰かが言っていた受け売りも忘れません
あらかじめ知識を入れておいたので、パネルを読まなくても(読めなくても)、りょう太は、かなり展示内容を把握できているようでした。子どもって、すごいな。やっぱり予習は重要だな。
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そのあとは、江戸の火事のエリアなどを見てから……りょう太が見たがっていた、江戸時代の三井=三越のジオラマです。
↑ これは、手前がなんちゃら船と、奥が神田祭の山車(だし)。神田祭って、横を通りかかったことはあるけれど、行ったことがないんだよなぁ。なんでだろ? って思ったら、毎年、ゴールデンウィーク中にやってるからですね……うちは、GWは旅行へ行ってしまうから……
そもそもなんで、りょう太が、このジオラマに固執しはじめたかたと言えば、ぼくがYouTubeで、このジオラマを見ながら「この三井って『晴天を突け』でも出てきてるんだけど、知ってた?」って聞いたんです。
そしたら、「え? しらない。だれがやってたの?」
「あの、(渋沢)栄一の家に来て、子どもたちと遊んでたおじいちゃんいたでしょ?」
「うん、いたいた。あれが三井なの?」
「そう。あれが三井の実質のトップだった人だよ。三井の偉い人」
「へぇ〜、そうだったんだぁ」

まぁ、『晴天を突け』では、三井の番頭・三野村利左衛門を、イッセー尾形が怪演していたんです。りょう太にとっても、すごくインパクトがあったはず……それで覚えていたんだと思います。
まぁ今年の大河ドラマの『晴天を突け』は、本当におもしろいですね。
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しかし、当たり前ですが、見てきた展示内容を詳細に記そうとすると、キリがないですね……。
とりあえず、途中に様々な展示がありましたが、次の大型ジオラマは「江戸時代の両国」です。エドハクのある両国が、江戸時代にどんなだったのかをジオラマで再現しているんです。
このジオラマも、りょう太は楽しかったようで、ここに何分いたか分からないくらいいました。
ぼく「この橋さぁ、さっき電車で通ったところだって知ってた?」
りょう太「ええ! そうなの?」
ぼく「電車で隅田川を渡ったじゃん? ほとんどあそこが、この橋だよ。で、あっちの、お店がいっぱいあるところが、ココだよ」
りょう太「ココって?」
ぼく「今は江戸東京博物館があるんだよ」
りょう太「へぇ〜そうなんだぁ。(それよりさ)あそこに スイカたべてる おじさんがいるよ」
ぼく「どこ?」
りょう太「あそこだよ、あそこ」
スイカ持ってるおじさん……むちゃくちゃ小さくて、視力が悪くなっているぼくには、まったく見えませんでした。カメラで「ここかなぁ?」と、りょう太が指差すあたりをテキトーに撮って、拡大してやっとわかりました。
こんなことがいくつも……。
↑ このあたりが両国橋の東詰(東側)。もともと大川(隅田川)が武蔵国と下総国との境界だったことから、そこに架かる橋を「両国橋」と呼んだそう。そのため、その橋の東西のエリアとも「両国」と呼ばれていたんだとか。つまり今の両国だけでなく、東側の浅草橋あたりも両国と呼ばれていた時期があったということになるけど……そのあたりは今は「柳橋」とか「浅草橋」と呼ばれていただろうから……いろいろと細かくエリア分けされていたのかな。
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その後は、歌舞伎の劇場を再現したエリアへ。
特に仕掛けモノっていうのか、お化け屋敷みたいな演出をするときの、カラクリを説明する場所を、りょう太は見ていました。これもなのですが……江戸東京博物館は、展示物はちょっと動くような展示がいくつかあるのですが……正直、たいした仕掛けでもないのに、動くのが15分とか20分ごとだったりして……もう、数分ごとに定期的に動かしてくれれば、サササっと見て回れるのになぁっていうことが多いです。
ということで、ぼくはこのカラクリが動くまで待ってる りょう太を置いて、ほかの展示を見に行ったりしていました。ただ、やっぱりまだ小1のりょう太から目を離すのって、博物館内とはいえ気がひけるので、そわそわしちゃうんですよね……。
カラクリが分かったので、「りょう太、行こう!」と行って、先を急ぎます。
ここまでで予定よりかなり時間が経ってしまいました。
このままでは、ぼくのメインの目的である「土偶」のある縄文の特別展が見られないんじゃないかって、焦ってきちゃったんですよ。
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明治大正エリアへ。
なぜか足元には、鹿鳴館の模型が埋まっています。上空から俯瞰するように見られる点では、ものすごく面白い展示方法ですね。
ニコライ堂もありますが、そこも何か動くようになっていて、密だったので……
そしてもう一つ「銀座煉瓦街」という模型もあったのですが、こちらも20分間隔で動くような仕掛けになっているようで……ちょうど終わってから数分の時に来たため、次の回は20分後とのこと。
いや、それはいいんだけど、照明を真っ暗にしている意図が分かりかねます。動いてなくてもいいから、見させてよ……。
そこは本当に真っ暗で、なにがあるのか分かりづらかったので、「さっ、次行こ!」と、りょう太をせかせます。
次の部屋へここにもドーン! と「浅草十二階」が建っています。正式名称は「凌雲閣」。これを見ながら、「りょう太」の「りょう」を「凌」にすればよかったかもなぁと思ったのは内緒です。意味は「雲をも凌ぐ建物」と言ったような感じです。
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このあたりは、りょう太が魅了するものも少なかったようで、ガンガン進みます。
大正エリアにはA型フォード、昭和エリアにはダットサンのピックアップトラック「G222型」やスバル「360」があり、ここは足が止まるだろうと思ったものの、りょう太は意外にも、「おっとーが すきそうなくるまがあるよぉ」と、スバル360を指差しながらササッと通り過ぎます。
「自家用」とか「NAKAJIMA-SHOTEN」と記されているのに、しびれます。これが実際にホコリまみれになって走っていたんだなぁっていうのが感じられて、いいんですよ。
日本車に限らず、この頃のなのか、昔なのかの車は、曲線がとてもきれいで好きです。ま、安全性は今の方が段違いで高いんでしょうけどね。
なぁんて思っていたら、りょう太は、昭和30年代のひばりが丘団地の再現ブースに釘付けになっていました。
なぜ?
「ねぇおっとーみてよ。テレビがちいさいね(笑)」
「へぇ〜、おっとーが子どもの頃よりも少し前の家だなぁ。おっとーのときは、もうちょっとテレビも大きかったよ」
「ねぇ、こっちきて! こっちにげんかんがあるよ」
なんだか、やたらと夢中で見て回っています。ほんと、子どもが何に興味を抱くのかって、分からないものです。
ま、ぼくはそのとき「はやく常設展を出たい!」の一念でしたけどね。もうその時に、15時半だったんです。閉館が17時半だから、あと30分かかるとして、縄文の特別展を見られるのが1時間を切っちゃうかもなぁ……と。
で、もうすぐ終わると思ったら、今度は「輪タク」に乗ってご機嫌の様子。その姿を撮っていると……
「おっとー! ちょっと うしろに のってくれない?」と、親指で後ろを指差しながら言います……。しかたないから、乗りましたよ。乗ったからって、「お客さん、どこまで行きます!?」なんて、聞いてくるわけでもないというね……。
そして、常設展が終わりました……。これでも、第二次大戦当時の東京のエリアは飛ばしたりしたんですけどね……長かったぁ……。
いや、特別展のことがなかったら、もっと常設展をじっくりと見たかったんですよ。ただ、早く特別展へ行きたかっただけなんです。
☆☆☆
常設展を出たものの、りょう太とぼくは、へとへとでした。
家から電車に乗ってきて、館内を歩き回ったこともあるのですが……ぼくらは、お昼ご飯を食べていなかったんです。
昼過ぎに家を出る時に、りょう太もぼくもお腹を空いていなかったんです。
「りょう太くん……おなかすいちゃったぁ〜」
「そうだよね。おっとーもお腹すいたよぉ……」
ということで、とりあえず特別展のやっている1階へ行き、カフェなのかレストランを探しました。さすがに事前に、飲食店があることは調べておきました。
が……カフェの方は、ランチは「売り切れ」とのこと……。
「りょう太くん……おなかすいたよぉ〜」と、いまにも へたり込みそうになっているりょう太。最悪、駅の方へ行かなきゃいけないのかぁ〜……そんなことになったら、特別展なんて見られないぞ……( ; ; )
もうひとつのレストランは「江戸博砂漠」。
「おぉ〜、りょう太! こっちはやってるよぉ!」と、勇んで入って、メニューを見ると、ぼくもりょう太も苦手な辛そうな料理ばかりが並んでいます。ん? これはインド料理か?
「あのぉ〜……辛くない料理ってあります?」と、店員さんに聞いてケバブを1つだけ頼みました。そんなに食べられるとも思えなかったし、ぼくはそれほどお腹がすいていなかったからです。
メニューを見たときは「ほかに、ないのかなぁ〜?」と不安そうだった りょう太ですが、ケバブが来ると、かぶりつくように食べ始めました。
「おいしい?」
「うん……(もぐもぐもぐ)」
結局、意外にも りょう太がほとんどを食べ尽くしてしまいました。
食べ終わって、りょう太が上機嫌になったところで「よし! 次は土偶を見に行くぞ!」と気合を入れ直しました。お腹がいっぱいになったからか、りょう太も「うん!」と、元気よく応じてくれました。
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ということで、特別展の『縄文2021―東京に生きた縄文人―』については、また後日、記そうと思います。





































