己を貫く | 那須塩原の女性起業家

那須塩原の女性起業家

那須塩原市(旧黒磯市)にて34歳で起業。2人の息子を育てながら”スポーツ・フィットネスで心身ともにずっと健康”をテーマに会社経営に邁進、50歳を機に会長に就任。栃木県初の女性専用フィットネスクラブ「ビーライン那須塩原店&2号店」などを15年間経営。

世の中の常識と言うのは、社会生活をする上でのある意味ルールのようなものであるから、10人中、8人以上の人が同じ意見なら、そちらに従うべきだと思う。でも、スポーツとか経営の常識って、そうではないような気がする。

ここからは、スポーツの話。
多くの指導者がデータや研究に基づいて、
これが良いとする事柄を、指導につなげている。
確かにそれも大切。
そもそも、選手一人一人のカラダや精神は千差万別なのだから、個々にあったフォームや練習方法というのが本当はあるはず。

競泳選手時代のこと。
当時12歳だった私の身長139センチ。
誰よりも体が硬く、
誰よりも体が小さく、
誰よりもストローク数が多く、
誰よりもキックを使わない...
自然に2ビート泳法で泳いでいた私を
みんな笑っていた。

恩師は、その泳ぎが体の小さな私にあっている、必ず日本一になる、と貫いた。

スポーツ選手はカラダが柔らかい方がいい、とは良く言うのだか、確かに怪我をしにくいだろう。
でも...
誰よりもカラダが硬かった私は、水泳選手生涯一度も肩を痛めたことが、ない。
一般的には、ストローク数が多いピッチ泳法は効率が悪い=泳ぎが下手と言われるが、
人の倍近く回転するピッチ泳法の私が、当時14歳で、短水路日本新記録に迫るタイムで泳ぎ、日本一になった。(その後、オリンピックに行けなかったと言われたらそれまでなのですが...笑)

26歳ではじめたトライアスロン。
私の水泳実績を知らない指導者が言った。
「本格的に水泳指導を受けて、フォームを直したらもっと速くなるから」
「あなたの走りでは、絶対に40分を切れるようにはならない」
「絶対にプロになるのは無理」

わざわざ、電話までしてきてそんなことを忠告してくれた指導者もいたのだから、あのお方は何だったんだろう。(笑)

そんなことを言われたのに、めげずにトレーニングに励み、3年目でプロになった。もちろん、39分台で走り、日本選手権で3位に入った。(オリンピックに行けなかったと言われたらそれまでなのですが。笑)

経営者になってからの話。
ことごとく、私の考え方やアイディアが多くの他の人と異なっていることに気づいた。
多くの起業する経営者の中から、成功するのはわずか10人に1人か2人といわれるのだから、そうか。経営の本を読んで勉強すれば10人中10人が成功するのか?いやいや、いくら本を読んだって1人か2人でしょう。正論を頭に入れた上で、地域、人などのマーケットに適した方法を探るのは、経営者の感性=センスみたいなものかもしれない。

栃木県初の女性専用フィットネスを開業する時、
「人目につかない1本入った場所に店舗を」との意見に、絶対に違うと思った私は、交差点の角に出店を決め、オープンから数日で定員300名を上回る入会者を獲得し、10年間一度も赤字を出さなかった。

私の考えや勘が間違っていることも、確かにある。すべてが的を得るわけではない。

でも、
何に於いても型にはまらない、
型にはめない、柔軟なやり方で、
指導者として、
経営者として、
歩んでゆきたい。

常識にとらわれず、
その人にあった方法というのが
一番大切なのだろう。

己を貫く