マイトレーヤの旅 36 | ひでさんのブログ

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マイトレーヤ(弥勒菩薩)と出会ったのが、1980年の11月でした。以来、37年マイトレーヤと歩んでいます。

1964年 マイトレーヤ18歳 ヒット曲「ワイングラス」

マイトレーヤは、当時クロード・セレという芸名のプロの歌手でした。

15歳の時、ギターと小さなスーツケースを抱えてパリに出かけました。小さなスーツケースには、希望という夢を一杯詰め込んで。

パリでの3年間は波乱万丈でした。書くと紙面が無くなりますので、詳細はExtra-Terrestrials Took me to their Planet(日本名ー不死の惑星への旅)に書かれています。良ければ是非ご覧ください。

下記から無料でダウンロードできます。

http://ja.rael.org/download.php?view.32

最初のレコード ヒット曲「甘い口」

3年間で150曲以上の作詞・作曲をしたマイトレーヤは、レコード会社と3年契約をしました。そして、最初のレーコード「甘い口」が発売されました。多くのラジオで流れたこの歌は、たちまちヒットしました。

2番目のレコード 大ヒット曲 「蜂蜜とシナモン」

2番目に発売された「蜂蜜とシナモン」は、さらにヒットしました。

この曲はフランス歌曲「黄金のバラ」にノミネートされました。アメリカのグラミー賞や日本のレコード大賞のようなコンクールです。しかし、マイトレーヤを導いていた人たちは、彼が芸術家として有名になることを望んでいませんでした。ラジオでは、連日1週間後に行われる「黄金のバラ」出演者の一人に選ばれたことを放送していました。ある日、今まで多くの有名歌手を送り出してきた「ヨーロッパ・ナンバーワン」ディレクター・リュシアン・モリスがやってきて、マイトレーヤをコンクールから外さなくてはならなくなったと告げました。結局、マイトレーヤはコンクールには参加されませんでした。

 そしてそれから9年後、1973年12月13日、クレルモンフェランで運命を変えるエロヒムとの遭遇が起こったのです。

  蜂蜜とシナモン

蜂蜜とシナモンの香りがする

バニラと愛の香りがする

蜂蜜とシナモンの香りがする

僕がずっと愛する乙女たち

最初の子は栗毛で名前をマルゴと言った

月夜の晩に葦笛(あしぶえ)を吹いたっけ

僕は彼女の瞳に惹かれていった

また、髪にもきっと惹かれたのだろう

 

続く