「どいつもこいつもやる気なしの無責任野郎ばかりそろいやがって!(中略)全員やめてくれや! こんな人物と一緒に仕事は出来ぬ!」

 と、事業計画策定を巡る上申書に、手書きコメントを残した人物がいるらしい。

 

 昔は有能な経営者だったのに、いまや品質と経理の不正、そしてパワハラで知られる有名人になってしまった、永守さん。

 晩節を汚したな、と思いながらニデックのニュースを眺めていて思った。

 

 かつては優良企業だったはずなのに、なぜこうなった?

 つらつら記憶を回顧するうち、私のような人間のせいかもしれない、ということにふと思い至ったので、記録しておく。

 

 

 経営者になったことはないのでわからないが、下から2番目くらいに立って、新人に業務を教えたことはある。

 で、無能な同僚にイライラさせられたことは、日常茶飯事だった。

 

 永守さんと比べるつもりは毛頭ないのだが、構造としては似ている可能性がある。

 なんでそんな簡単なことができないの、遅いよ、みたいないらだちを感じている時点で、たぶん根っこは同じだ。

 

 具体的に言うと生々しいので、似たような事象を最近の記憶に探そう。

 数年前、うちの無能な母親に対して、いいおっさん(私)が言い放った言葉。

 

「もういいよ、やめな。私がやるから。できない人間は、二度とやらなければいいよ」

 私にとっては簡単なレシートの撮影が、うまくできていないことに対してだ。

 

 何度か指導はしたのだが手振れがひどいので、最終的に突き放した。

 うちの母親はアホなので、へらへら笑っていた(内心はわからないが)。

 

 

 まあそんな感じで、昔の同僚がやるべき仕事を、私を含む周囲がフォローしていた。

 で、イライラした私が上記のようなことを言ったとき、彼女はおびえながら「怖い」と言った。

 

 いや怖いのは、やるべき仕事をやらないおまえだよ。

 当時、というか少なからず今も、そう思っていた。

 

 が、ふと考える。

 これはもしかしたら、私の視点がまちがっているのではないか、と。

 

 

 こんな簡単なことが、ほんとうにできない人間がいるのか。

 あるいは、できないフリをしていれば助けてもらえる、と信じているのではないか。

 

 可能性はある。

 周囲がやってくれるなら、自分は無能なフリをしていればいい……。

 

 ここに、根本的な認識の齟齬がある、ような気がする。

 私がどうしたらよかったのか、いまも正解はわかっていない。

 

 

 できない社員のしりぬぐいを、まわりがしてやる。

 その社員の労働量は減り、周囲の社員の労働量が増える。

 

 結果としてブラック化するとしたら、それはだれのせいか?

 落ち着いて考えてみるまでもなく、経営者(上司)のせいだ。

 

 経営者が道徳的に「悪人だから」──ではなく、権限と責任の非対称性を放置し、組織のガバナンス設計を放棄しているから。

 つまり「怠慢だから」だ。

 

 現場は、業務を回す「責任」を負わされているが、できない社員を減給・配置転換・解雇する「権限」を持たない。

 いっぽう経営者・上司は、人事・評価・業務再配分という絶対的な「権限」を持ちながら、現場のトラブルへの介入「責任」を回避している。

 

 

 「できない社員の分を、まわりがカバーしてなんとか回っている状態」は、美談でもなんでもない。

 経営側が現場の「善意」や「責任感」という非正規なパラメーターに、ただ乗り(フリーライド)しているだけだ。

 

 彼らはシステムを構築するコストを払い渋り、現場の労働力の非対称な搾取によって利益を得ている。

 結果として「やった人間が損をし、やらない人間が得をする」というモラルハザードを、制度として容認している。

 

 同じ事象を上から見下ろせば、「全員やめてくれや!」と叫ぶ老害の姿が見えてくる。

 システムを構築して管理するコストを惜しみ、恐怖や精神論で現場を動かそうとした経営側の怠慢が、不正やハラスメントという形で破綻した。

 

 稀代の経営者は、管理できない無能(すくなくともガバナンスについて)の責任を、直下の部下にすべて背負わせた。

 そして首を切りつづけ、最後は自分が切り捨てられた。

 

 

 ブラック企業とは「悪魔のような経営者がいる会社」ではない。

 「システムを設計できない無能な経営者を、責任感の強い社員が(無意識に)自己犠牲で支えてしまっている会社」である。

 

 したがって、有能な社員がとるべき真の抵抗は、私のように怒って「仕事を巻き取る」ことではない。

 冷徹に自分の範囲外のタスクを放置し、経営者に「気づかせる」ことだ。

 

 そしてじつのところ、これは問題の「スタート地点」にすぎない。

 システムの破綻に気づいても、たいていの無能には、それを修復する能力がないからだ。

 

 「発想が異なる」経営者の場合も似ている。

 現場からの「遅滞やクレーム」が、彼らの目や耳には「システムの欠陥」として受信されない。

 

 彼らもまた、明文化された「仕組み」ではなく、精神論や属人的な「がんばり」で世界を捉えているからだ。

 そのため異常値を「現場の努力不足・気合の欠如」と誤認する。

 

 結果、システムを改修するのではなく、地団太を踏む。

 ときに精神論ベースの無茶ぶりによるデスマーチが発動、優秀な中間層を含めた船全体が──沈む。

 

 

 「できないフリ」をして、タスクを直上の有能者に投げる、下層の生存戦略。

 システムを構築できず、トラブルを「現場の努力不足」として直下の有能者に投げる、上層の生存戦略。

 

 真のブラック企業とは、この上下の無能が(無意識の)共犯関係を結ぶことによって成立する。

 散在する「責任感のある有能な人間」をすり潰すことで延命する、悲劇的な怪物の名だ。

 

 この狂った怪物システムのなかで生き残るための「正解」は、もはや組織を良くすることではない。

 自分が手を出せば搾取され、放置すればデスマーチに巻き込まれる。

 

 このデッドロックに陥ったとき、あなたは自らも「無能のフリ(戦略的無能)」を習得し、怪物の一部に成り下がるか?

 あるいは組織への責任感を捨て、システムが崩壊する前に静かに脱出するか?

 

 どちらかを選ぶ賢さがない人々の多さが、ブラック企業の温床になっている。

 私自身、中間に立って「なんでそんな簡単なことができないの」といらだっていた時点で、もっとも愚かであった。

 

 できないフリ(?)をする母親も、システムをつくらない経営者も、自分の生存にきわめて合理的に適応している。

 責任感などに縛られ、ひとりで勝手に怒り、彼らのしりぬぐいをしつづけてきた私だけが、このシステムにおいて唯一の「バグ」だったのだ……。