前回、20世紀は2番目に平和な世紀だった、と書いた(1番は21世紀)。
 二度の世界大戦があり、大量破壊兵器が歴然と使用されたにもかかわらず? という疑問にも答えているつもりだ。

 その考えは変わらないが、起こった戦争の悲惨さを否定するつもりもない。
 たしかにあれは激烈だったし、人間の狂気をよく表していると思う。

 『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ 元米国防長官の告白』(2003)を観た。
 悲惨な戦争の多くにかかわっていた国の国防長官の考え方は、非常に興味深い。

 マクナマラはフォードの社長になったとき、大統領JFKに請われて国防長官に就任した。
 ジョンソン大統領になってからも引きつづき国防長官を勤め、キューバ危機、ベトナム戦争など冷戦構造のなか、大きな決断を迫られることが多かったという。

 いろいろおもしろいエピソードが語られていたが、私が気になったのは、カストロが言っていたというセリフだった。
 いま「カストロ」で検索すると上位にはプロ野球選手が出てくるが、私の世代ではキューバで権力を握っていた革命の最高指導者である。

マクナマラ「米国がキューバを攻撃した場合、(負けるとわかっていても)フルシチョフに核使用を勧めたか?」
カストロ「勧めた」

 結果、キューバが滅びるだろうと理解していてもだ。
 「きみも私と同じ立場ならそうしたはずだ」と言われ、即座に否定するマクナマラ。

 負け戦だけはしてはならない、というのが日本人としてはマストの選択肢だと思うのだが、そうではない考えの人々もいる。
 もちろんマクナマラは大統領ではないし、トルーマンやジョンソンをどう評価するかもここでは述べないが、そういう指導者が立つとしたらシステムそのものがおかしい。

 じっさい小児病で有名な国家群の指導者は、カストロにかぎらず同じことを言うような気がする。
 弱い犬ほどよく吠えるので、どこぞの将軍様が「無慈悲な攻撃でおまえの国を焦土と化す」みたいなことをほざいても、聞き流せばいいだけなのかもしれないが。

 いや、のんきに他国を評している場合ではない。
 われわれも竹やり片手に「一億玉砕」を叫んでいた政府を知っている。

 国民の命を勝手に売り払うんじゃねえよ、とは思うがまあ、あらゆる国が戦時中は多かれ少なかれその傾向にさいなまれはする。
 もちろんアメリカも例外ではない。


 キューバ危機のとき、攻撃しろと叫びつづけていた、カーティス・ルメイ。
 東京大空襲からキューバ攻撃の進言、ベトナム戦争まで、ルメイはとにかく好戦的だった。

 南北戦争のシャーマン将軍も同じ、街を焼くなと懇願する市長を無視して火を放った。
 「戦争とは冷酷なもの」だそうだ。

 ある意味、目的に最適化されてはいる。
 軍人とはそうでなければならない、のかもしれない。

 が、私はたとえ戦争に勝つためでも、人としてそれはできない、と言える人間でありたい。
 そもそも「人間性を捨て」ている彼らのような人間が一定数いて、それが指揮権を握ることの恐怖は銘記すべきだ。


 現在の世界は、その恐怖に立脚している。
 戦争に勝った国が、秩序を構築しているからだ。

 第二次大戦を遂行した「聯合国」という体制は、だいぶ狂っている。
 古式ゆかしい「勝ったやつの言うことを聞け」は、要するに「ジャイアン理論」なので、いろいろおかしい。

 国際連合、安全保障理事会、常任理事国、拒否権。
 いずれも、かなり露骨に「勝った側の制度」になっている。

 端的なのが核拡散防止条約で、安保理の5か国にのみ核の保有を認め、他の国には民生利用のみ、さらに査察も受け入れろという。
 もちろんこれは核拡散を防ぐための現実的な妥協であり、全員に核を持たせるよりはマシという理屈も理解はできる。

 特定国にだけ核の「威嚇」を認める、という理解に苦しむ体制をつくらなければならなかった理由は、現に核を「使用」した国がそこに含まれる事実からも帰納されよう。
 彼らは、正しい目的のために核を使用したのであり、それによって引き起こされた虐殺は正しかった、と言い張らなければならない。

 逆に言えば、もしナチスドイツが戦争に勝っていたら、ユダヤ人虐殺は正しかった、ということになっていた。
 現に、いまからでも「そうすべきだ」と考える人々は一定数いる。

 一定の思想、利益の代表権行使を強制すること──それが戦争だ。
 そもそも戦争という狂った行為が、その後に狂った環境をもたらすのは、ある意味で当然の帰結といえる。


 人間は狂っているから、もう彼らには地球の管理を任せておけない。
 そう判断されても、致し方のない現状である──と言いたいところだが、じつのところ、そうでもない。

 べつに楽観論者ではないのだが、比較的マシにはなっていると認めている。
 まだまだ狂っている部分も少なくないが、その異常性は、20世紀の10から21世紀には7くらいまで下がっている、ような気がする。

 この前提を食わせたうえでAIに問い合わせたところ、21世紀の異常性は「現時点で 6.5」らしい。
 ただし「2001〜2019年までなら 4〜5、2022年以後を含めると 6.5〜7 まで戻った」という。

 じっさい「死者数」だけなら、21世紀はかなりマシだ。
 ただし「21世紀が1番平和」と言いにくくなっている理由もある。

 もし台湾有事、NATO・ロシア直接衝突、インド・パキスタン核危機、中東戦争の拡大のどれかが本格化すれば、21世紀は一気に8〜9まで跳ねるだろう。
 あまたの「爆弾」は、漸進的に解除していくしかない。


 それでも20世紀の教訓は、まだじゅうぶん生きていると思う。
 20世紀生まれの私が生きているあいだは、たぶん大丈夫だ(と信じたい)。

 トルストイは「悪に対して悪で報いることは、幸福を失うことである」と言った。
 暴力に暴力で報いてはいけない、というキリスト教以来の宗教的なテーゼが、彼らの世界線でも一応は機能している。

 トルストイを愛好していたガンディーも、よく引用していた。
 そのガンディーに影響を受けたのがキング牧師で、同じ流れで南アフリカの大統領になったのがネルソン・マンデラだった。

 すばらしい思想は後世に影響を与えるが、まだ「愚民」まで浸透しているとは言い難い。
 人類の一定割合を占める暴力性に合わせるのではなく、その効用を逓減するシステムを、政府レベルで導入する必要があるだろう。

 たぶん人類は、地球の管理者として合格していない。
 ただし、完全な落第でもない──という判定が、いまはちょうどいいと思う。