私は自分が「変人」なんじゃないかな、という自覚がある。

 同時に「中間」でありたい、という欲求もある。

 

 永世中立国のように他国の戦争に巻き込まれず、それなりに自立して自分の道を貫きたい。

 自分の考えを疑い、より正しい見方を探したい。

 

 そんな人間の目から、昨今のリベラルとコメ価格という、なんの関係もない事象がつながって見えた。

 なに言ってんだこいつ、と思われていることだろう。説明しよう。

 

 

 いわゆるリベラルが、凋落している。

 共産党にしろ社民党にしろ、かなり悲惨な状況であることは客観的な事実だ。

 

 左派政党である立憲は自分が「中道」と言い張ったが、私の定義によればちがう。

 中道は中央値のボリュームゾーンであって、自己主張すればいいという問題ではない。

 

 右派、左派、中道を厳密に定義しておこう。

 あくまで私自身のやり方だが、直近50~100年の歴史を鑑みて、最強の保守状態を右、最強のリベラル状態を左と置くのがよいだろう。

 

 当然、戦中の「右翼」がやらかした悪夢はトラウマ級だ。

 では「左翼」の全盛期とは、どこだろう。

 

 たぶん全共闘世代とか、あのへんが最強だったような気がする。

 平和のためにテロを起こし、極度の純化で仲間を殺し、忌まわしい戦前の「反動」を極めた。

 

 

 さて、つぎにコメの話をしよう。

 年度末だが、まだ値段は下がっていない。

 

 5キロあたり4000円台という未曽有の価格。

 3000円台が適正価格である、というような議論もまれによくみる。

 

 アホ抜かせ、と言いたい。

 コメの国際標準価格は、だいたい10キロ数百円である事実を、まずは銘記すべきだ。

 

 もちろん日本とは異なる品種、環境での価格で、最高品質の日本米と単純比較するのは非現実的ではある。

 が、「高級品」という枠組みなら外国米にもあるわけで、日本米の「全体が高級品」という状態は、あきらかにまちがっている。

 

 基本的には商品のひとつなのだから、国際価格に近づける努力はすべきだ。

 とすれば正解は、価格の選択肢を広げることしかない。

 

 それなのに「全体的に高い」という状態は、なにかに似ている。

 そう、全体主義で暴走する国家だ。

 

 極端な価格帯を市場に強いることが、極端な国家の状態=軍国主義化した日本の状況と、とてもよく似ている。

 走り出したら止まらない全体主義の国家と、オーバーシュートする市場原理は相似しているのだ。

 

 

 極端を強いることによって、中間の価格を引き上げること。

 極度に右傾、あるいは左傾することによって、中間域を引き寄せること。

 

 共産党や社民党は、その意味で正解をいっている。

 彼らの目的は「純化」であり、右派なら参政党や保守党がその役割を担うだろう。

 

 言い換えれば、現に最多の自民党は、自称中道より中道にみえる。

 右派と決めつけられている自民党内に、どれだけリベラル的政治家が存在するかは周知の事実だし、中道を名乗る政党が左派のたむろするところであることも自明だ。

 

 

 私は常々、日本において二大政党制は向かないし正しくない、と思っている。

 世界を善悪「二元論」でとらえてはいけない、すくなくとも「三元論」であるべきだ。

 

 アメリカを筆頭とする二大政党制。

 いっぽう日本やEU諸国などは、多党制が定着しつつある。

 

 その中間をとって、右、左、真ん中、という三元制に答えを求めるのはいかがだろう。

 すると、わりと右、わりと左、という「雰囲気」を取り込みやすくなる。

 

 

 たとえば左右は2割ずつ、中間が5割程度を目標議席の目安にする。

 中間が5割を切れば、政策ごとに右や左と手を組んで政権を運営する。

 

 そうして中間のありかを、国民とともに決めていく。

 民主主義の最終形態が、この三元政党制ではないかな、という議論については昔このブログでも書いたような気がする。

 

 そんな壮大な目的に対して、いまの左派は──あまりにもブザマだ。

 勝てる気がしない──では、どうするか。

 

 勝ち目のないリベラルが当面やるべきは、より純化した左をまとめることだ。

 逆説的だが、中間層がまぎれこめないほどの純粋な理想論者を集めることが、結局は「左の復権」をもたらすのではないか。

 

 

 たとえばコメは、バカみたいに価格を釣り上げることで平均価格を押し上げた。

 そうして多くの人々は、「高いコメが当然」だと思わされている。

 

 もちろん高くなりすぎた結果、全体としての消費が下がるリスクはある。

 ついてこられない層はそれなりに出るだろうが、平均値は引き上げることができる。

 

 政治なら、左右をより極端化させることで、その振幅が明確になる。

 中間層にも政治がわかりやすくなる結果、よりどっしりとした政権基盤ができる……ような気がしないか?

 

 と、一見まったく関係のないふたつの事象に類似点を見つけるのは、けっこういい頭の体操になる。

 願わくは選挙民のみなさんも、頭を使って投票していただきたいものだ。