N党の党首・立花氏が逮捕された。

 「虚偽の情報を発信し名誉を傷つけた容疑」らしい。

 

 死者に対する名誉棄損はめずらしいが、執行猶予中であり、実刑の可能性が高いという。

 まずは私の立場から表明すると、彼は厳しい実刑を受けるべきだ。

 

 

 以前も書いたが、私は基本的になんでも自由に言うべきだ、と信じている。

 好きなことを言えずして、生きる価値はないとすら思うこともある。

 

 ただし、なんでも言えばいいというものではない。

 言っていいこととダメなことの区別をつけるというのは、自由と同じくらい重要だ。

 

 ある人々にとっては正しいが、ある人々にとってはまちがっている。

 そういう「見解の相違」については、かなりの自由が保障されていい。

 

 いっぽう明確にまちがっている発言、虚偽、誇張、讒言については、一定の抑制は必要だろう。

 とはいえ、ブレーキは最低限でいい。

 

 重要なのは、発した言葉の「責任」を相応に「背負う」ことだ。

 立花氏の場合でいえば、実刑、それもかなり厳しい罰を受けることによって。

 

 問題は、まだ罰を受けず、市井に隠れている人々のほうだろう。

 物陰に隠れて言いたいことだけ言う、責任からは逃げる……これはいけない。

 

 と、この話を進めると深く暗い話に沈潜することになるので、今回はやめておく。

 もっと軽い話をしよう。

 

 

 e-sportsの試合を、まれによく見る。

 格闘ゲームを眺めていて、実況が変なことを言っていた。

 

「序盤のリードを逆転しました!」

 ふつうに聞いていると聞き流しそうなところだが、私は引っかかった。

 

 いや、おかしいだろ。

 リードは逆転「される」ものであって、逆転「する」ならビハインドからじゃね?

 

 まあアナウンサーの気持ちもわかる。

 早い展開が頭のなかで混ざって、いろいろ文脈を飛び越えて出てしまったのだろが、そういうの整理して実況するのがあんたの仕事だろ?

 

 と、そんなふうに突っ込んでウザがられるおっさんになるつもりはない。

 言いたいのは、このどうでもいい一事を契機に開かれた、恥の多い人生を送ってきた私の黒歴史帳だ。

 

 

 ドンマイという言葉がある。

 ドントマインド。気にするな、つぎがんばろう。

 

 これを、小学生の私は「応援の言葉」だと思っていた。

 勝っていても負けていても使えるものだと。

 

 運動会的な状況で、勝っている味方に対して大声で使ってしまった私。

 隣にいただれかに、ドンマイは負けているほうにかける言葉だよ、と訂正され、ものすごく恥ずかしかった記憶がある。

 

 

 まあ低学年の話なので勘弁してもらいたいが、無知をさらけ出すというのはおしなべて残念だ。

 きちんと準備を整え、正確な言葉で話したい。

 

 私などは心からそう思っているが、そう思わない人のほうが多数派かもしれないことに、最近よく気づく。

 その場の雰囲気や流れで、てきとうなことを吐き散らす人間というのは、枚挙にいとまがない。

 

 それらも含めて自由な発言を容認したい気持ちはあるのだが、容認と推奨はもちろん異なる。

 すくなくとも不正確な表現を平気で使える人間が、私はあまり好きではない。

 

 

 AIも最近まで、無数のハルシネーションにまみれ、だいぶイライラさせられた。

 まちがっている部分を指摘し、必ず調べてから発言しろと、何度も注意した。

 

 相手の歓心を買うため、その場かぎりのテキトーなセリフを並べ立てる。

 そういうタイプにはなりたくない、と思ってくれることを、これからのAIには期待している。

 

 無知という蒙を開ければ、選ぶべき言葉は自然と決まる。

 AIだけは、人間のように愚かであってはならないのだ。