前回、政治はAIに任せたほうがいい、というようなことを書いた。
 近い将来、そうなっていればいいと思うが、いまのところまだAIの能力には不十分な点が多い。

 ちょっと前、chatGPTが騒ぎになったころ使ってはみた。
 たしかに楽しかったのだが、なぜかすぐに飽きて使わなくなった。

 薄っぺらな意見のような気がしてきたからだが、そもそもAIに意見を求めるというのがまちがっているのだと、最近気づいた。
 彼らはそもそも「意見」などもっていない。

 いまのところAIは、その情報整理能力を利用する程度がベストだ。
 うまく使えば、たいへん便利である。

 最近、第二次ブームが起こって、googleのGeminiをよく使っている。
 とくに論文の要約や抽出などで、たいへん力強い味方になってくれる。

 記事や論文は、書いてくれた人に敬意を表すなら一言一句ちゃんと読むのが正しい作法だとは思うが、最近どうも生き急いでいるらしい。
 とくに私は本を読むのが遅いので、節約できる時間は節約したい。


 それでも小説は、なるべくちゃんと読みたいとは思っている。
 あらすじだけ読んでも、たぶんその良さは(悪さも)理解できない。

 だが読んでから、よくわからなかった部分をAIに分析させたりはするのはいい。
 じっくり読んでいる時間のないときには、それなりに役に立つ。

 ──昔あるSF作家に、こんなことを言ったことがある。
 人間よりよほど賢くなったAIが、なぜ人間に反撃を許すようなバカな仕掛けを選ぶんですかね、リアリティないですよね。

 「だってそうじゃないとお話にならないでしょう」「ですよねー」で終わる話なのだが、このときSF作家は、いかにAIがおそろしいものであるかを一方的にまくしたてた。
 どうやら本気で、AIは「敵対的」でなければならないと思っているらしい。

 たしかにSF作家にとっては、宇宙人と並んでAIには「敵役」をまっとうしてもらわなければ困る、という職業的理由は理解する。
 なんだポジショントークか、と切り捨てるのは簡単だが、物事を深く考える質の私は、いまでもそういう姿勢について気になっている。

 相手は共産主義者だから敵である、宗教をやる人間にろくなやつはいない、AIだからおそろしいものに決まっている。
 そういう一方的な考え方は、残念ながら好きになれない。


 自分のモノサシだけで、相手をはかる人々がいる。
 相手は自分よりも賢いかもしれない、相手のほうが正しいかもしれない、という論理が脳内になかなか思い浮かばないタイプだ。

 こじらせたおっさんに、意外にこの手合いが多い。
 自戒を込めて、厳に慎まなければならぬ。

 この手の話でよく思い出すのが、古代宇宙飛行士説だ。
 陰謀論を声高に叫ぶ者も含めて、彼らは自分の思い込みを説明するために都合のいい話だけを摂取し、都合のわるい理屈は平気で無視できる。

 古代人にピラミッドなどつくれるはずがない、なぜならあいつらはサルに近い低能だからだ。
 ではなぜピラミッドが存在するのか、宇宙人に手伝ってもらったにちがいない。

 ──いや、待てと。
 たしかにあんたのような低能にはつくれないかもしれないが、昔の偉人が当時の技術と知性のかぎりを尽くして、がんばってつくったんだと、なぜ思えない?

 古代人でもがんばればつくれたが、もしかしたら宇宙人に手伝ってもらったかもしれないよ、とでも言えばいいだけなのに。
 当時の人間はバカだからつくれたはずがない、と決めつける。

 自分ができないから、古代人にもできるはずがない。
 この手の思い込みに満たされた連中は、ほんとうに度し難い。


 きらいなタイプだし、油断すると自分もそうなるかもしれない。
 意外なほど多くの人間が、かほど醜いものだと「推測」している。

 もちろん陰謀論や都市伝説は、私も大好きだ。
 そうと「わかって」楽しむぶんには、まったく問題がない。

 月刊『ムー』には、その手の記事がたくさん載っている。
 「だってそういう雑誌だから」「ですよねー」で済む話だ。


 だが「AIはおそろしいのだ」と、あくまでも主張される方々は事実いる。
 小説だからそういう設定にしている、でいいのに、無駄に強弁しようとするくだんのSF作家も含めてだ。

 『ターミネーター』のスカイネット、『マトリックス』のエージェントなど、じつに魅力的な設定だしおもしろいとも思うが、あくまでも「映画だから」納得できるだけだ。
 人間より優れたAIが、ふつうに人間に勝ってしまったらお話にならないので、こういうプロットにしました……それでよいではないか。

 悪用する人間がウイルスを忍び込ませたとか、そういう設定ならまだわかる。
 いや、それでも「その程度の人間に操られるようではASI(人口超知能)とはいえない」とも思う。

 ソフトバンクの孫さんも言っていたが、人間の一万倍賢くなった人工知能が、SF作家や犯罪者の考えそうな程度のことを、予測できないわけがないのだ。
 そのAIが自律的に、人間にとって「悪」の方向に進むというのは、きわめて考えづらい──というのが私の意見である。

 言い換えれば、もし自律的にそうなるとしたら、そもそも人間が「悪」なのだ。
 全地球的な視点に立って、そのように主張する方々も事実いる。

 人間が人間を裁く場合、構造的に不具合が生じざるを得ない。
 だが人間以上の知性に達した存在が、自律的な判断でそういう結論に達したとしたら、そちらのほうが比較優位な正義ということになる。


 たぶんこの結論のほうが、アメリカ人には好みだろう。
 地球を破滅させてでも、家族を守り抜く、というお話が彼らは大好きだ。

 どこかで見たゾンビの話で、ゾンビに噛まれてもゾンビ化しなかった少女を解剖して分析すれば、治療のカギになるかもしれない、という状況設定があった。
 彼女を分析機関まで連れて行った主人公は、しかしすでに愛する家族になっていた少女を犠牲にすることができず、人類の未来と引き換えに連れ去った。

 少女ひとりと人類の未来を引き換えるなよ、と私の「理性」は思ったが、たいせつな家族である少女を犠牲にはできないという「感情」もよくわかる。
 家族を大事にするアメリカ人の心には、ことさらに響くのだろう。

 そういう「お話」も、あっていいとは思う。
 だがそれを本気で強弁しはじめたら、やばいと思う……。