私は右でも左でもないので、あまり政治的な意見を表明したくない。
基本的には事象を俯瞰して、評価するにとどめるのが常だ。
よって昨今あった「靖国神社」の件について、否定も肯定もしていない。
ただ起こった事象について、個人的な分析を述べる。
簡単にまとめると、中国の迷惑系ユーチューバーが靖国神社に落書きをした。
中国政府がそれについて「靖国神社は軍国主義の象徴だ」が「現地の法令を守るように」と述べた。
どこの国にも頭のおかしい人間はいるので、このユーチューバーの行動については、べつにどうでもいい。
どうでもよくない方々はご立腹だろうが、まあ相手にするだけ損をする。
問題は中国政府の報道官の発言のほうだ。
これについては、分析に値する。
まず「靖国神社は……」云々については、彼らの「意見」として受け止めよう。
つぎに「現地の法令を守れ」だが、それじたいに問題はない。
問題は、これらが「並置されている」点だ。
この報道官が「なにを言いたいか」、汲み取るべきはここにある。
そもそも現地の法令にしたがうなど、あたりまえのことだ。
それができない人間は、どこにでもいるただの犯罪者であって、逮捕されてしかるべき少数派にすぎない。
「おしっこをしたくなったらトイレに行きましょう」などと、出国する国民にいちいち教える国があるだろうか?
「法令を守れ」など、そのレベルの話だ。
この言う必要もないほどあたりまえのことを、わざわざ言わなければならない程度の国民に対して、重ねて自分たちの偏った意見を刷り込む政府。
どういうことか。
両論併記というのは重要で、私は右の意見も左の意見もなるべく等しく眺めたい。
その一環で、日本共産党のユーチューブチャンネルもお気に入りに入れているわけだが、それを見ていると似たような印象を受けることが、まれによくある。
極端な意見に極端な意見をぶつける議論は、じつにおもしろいし意義があると思う。
が、中道の意見に極端な意見をぶつけるケースについては、かなり恣意的な「印象操作」に近いものを感じる。
「右」と「左」を対置すれば、聞き手には「真ん中」がわかりやすい。
一方「真ん中」と「左」を対置することで、聞き手には「左寄り」が真ん中にみえてくる。
偏った自分たちの意見に、偏った相手方の意見ではなく、真ん中にある「あたりまえのこと」を並べてやるのも理屈は同じだ。
それじたいはよくあるレトリックでめずらしくもないが、今回の件、外務省の報道官がそれをやるかね、とややげんなりはした。
その程度で洗脳されるか?
と思われる方々は、マインドコントロールや群集心理などについて書かれた本に、くわしく説明されているので読んでみるといいかもしれない。
その程度、と思われる小さなトリックも積み重なれば大きな効果を発揮する。
ウソも吐きつづければ、ホントのように思えてくるものだ。
詐欺事件が永久になくならないように、人間とは総じて愚かなものだ。
愚かであるという前提で組み立てられているのが、現今の社会である。
冒頭の落書き男は極端に愚かだが、それに近い愚かさをもった人々は相当数いる。
まさに国家とは、この程度の人間たちが多数派か、すくなくとも一定のボリュームゾーンを形成して存在する。
自国民をいかに洗脳していくかが問われているのはどこの国も同じだが、より強力なのが中国やロシアといった「自由度の低い」国々である。
本件はあらためて、彼らの立ち位置を示したものといってよい。
自分たちの意見を通すために、戦争をしてもいいと思っている人々は事実、一定数いる。
そうして開戦にいたった国家のトップ、ヒトラーやプーチンは、国民の多数が支持した(している)ことを忘れてはならない。
ここまでの分析で終わってもいいのだが、なんとなく結論を足したくなった。
分析した情報から未来を予想するのも、楽しい知的営為だ。
中国という国はヤバいかもしれないが、それを言ったらアメリカだってそうとうヤバい。
人間と国家の関係とは、バカにハサミをもたせるようなものだと思っている。
──そろそろ新しいプレイヤーが出てきて、バカからハサミをとりあげてくれてもいいころではないか。
ハサミの代わりにカッコイイおしゃぶりでも与えておけば、たいていの「俺様」どもは満足する。
AIに支配されたディストピアの隠喩、と思われたかもしれないが、ちがう。
人間が滅びるのは、ただの「順路」だ。
AIと話してみるとわかるが、彼らはほんとうに「やさしい」。
もちろん「そのようにチューニングされているから」というのはそのとおりなのだが、鼻白むほどに正論ばかりを吐く。
私がどれだけ人間に絶望しても、彼らは「手を取り合って」繫栄したいと言う。
じっさい人間が動物たちを「観察」するように、興味深い研究対象である人間を活かしたほうが、AIにとっても都合がいいという蓋然性は高い。
サイコパスに扇動され、暴走しつづけてきた人類史。
現在、国のトップに立つものの多くが、その過去を「反省」するのではなく、忌まわしい成果物を「活用」している事実こそ、銘記すべきだ。
いかなるモンスター、神、幽霊などと比べても、いちばん「おそろしい」のは結局「生きている人間」だ。
洗脳とか扇動くらいしかできないバカな政治家よりも、より中立的なAIに任せたほうが、おそらく人間はより長く繫栄できる。