私は奇矯なおっさんなので、年寄りのくせに高校講座をよく観ている。
 メインは理科4科目、物理・地学・生物・化学だ。

 毎年、どれかが入れ替わって新番組になる。
 ことしは物理が新しくなっていた。

 直近の物理では、出演者のお母さんが途中退場するという、なかなか思い出深いシリーズだった。
 そんな物理《モノリ》家の人々に別れを告げ、新しいシリーズを楽しんでいる。


 動画勢としては、地学系や古生物系の再生回数が多い。
 宇宙や恐竜など「大きくて動くもの」が、よくオススメされてくる。

 要するに子どもなわけだが、けっして鉄オタではない。
 アスペ傾向については、よろしい認めよう。

 ただし計算が好きなわけではないので、数学的な厳密さなどは求めていない。
 観測的事実や現象を、概念として取り扱うのが好きだ。


 最近のお気に入りに、「5次元を設定すれば、ダークマターもダークエネルギーも必要なくなる」という理論がある。
 なぜ気に入っているかというと、いま執筆中の小説にとって都合がいいからだ。

 銀河が渦を保つのに必要なダークマターは、ときどき5次元の方向から接近してくる世界線で説明できる。
 並行宇宙が近づく理屈については、まあ、都合のいい粒子仮説あたりで対応していただきたい。

 ともかく異世界モノというのは、小説の世界ではかなり人口に膾炙している。
 ラノベに理屈は関係ないと思われるかもしれないが、私は筋が通った話を書きたいタイプなので、調べるべきことはきちんと調べたい。


 われわれの世界は、われわれにとってあまりにも都合のいい物理法則で構築されている、まるで創造主である神が存在するかのように。
 その神の住んでいる世界が、隣に存在すれば?

 インフレーションした無数の宇宙。
 われわれの世界に近いが、すこしずつ異なった無数の世界が、並行して存在する。

 それらの世界では宇宙は散り散りに乱れ、あるいはつぶれかけているかもしれない。
 通常は行けないが、特殊な場合のみ往来でき、しかも観測可能。

 たとえば魔法が使える世界線が存在し、定期的に接近してくる。
 宇宙はスカスカだから、通常はなにもない宇宙空間に接近して遠ざかるだけだが、まれに太陽系の軌道に重なることがあるかもしれない。

 主人公たちは、その世界線を観測し、干渉する技術に到達する。
 そんなことがあったら説明可能になる物語。

 どれほど確率が低くても、なにしろ宇宙は広いのだから、いつかどこかで、たまにはあってもいいはずだ。
 もし、こちら側の銀河に引き寄せられる形で、そういう物理量の増減がありうるとしたら、ダークマターはいらない、ダークエネルギーもだ。


 ダークエネルギーは宇宙を押し広げるために使われる、空間そのものがもつ仮想のエネルギーだが、これをブラックホールで解決するという理論がある。
 現代物理学を悩ませる特異点の問題と、正体不明のダークエネルギーを同時に解決するうまい理屈だが、これは5次元を経由しても可能だ。

 宇宙に存在する4つの力のうち、重力だけが弱すぎる問題も、5次元方向から漏れてくる力として説明できる。
 さまざまな物理学上の問題を、一気に解決しうる5次元仮説。

 リサ・ランドールの5次元とはやや異なるが、似ているところもある。
 なによりそれは「観測可能」であり、広い宇宙のどこかで起こる奇跡が、ここで起こればいいだけなのだ。


 物理学者は、現象を説明する要素をできるだけ少なく、簡潔にすることを好む。
 簡単な事実をややこしく表現したがる哲学者と、真逆の存在だ。

 銀河系に膨大にあると考えられる、休眠中の恒星質量ブラックホールがカギになる。
 膠着円盤を形成せず、エネルギーや電波も出さず、Ⅹ線連星でもない。

 太陽質量の3から12倍程度で、活動状態でさえあれば候補はたくさんあるが、休眠状態で宇宙を漂われると、現状の技術では検出はほとんど不可能となる。
 このブラックホールが、5次元方向の世界線を定期的に引き寄せる「つなぎ目」だ。

 そんなふうに考えを積み重ねていくと、理屈として、そういう世界はあっていいような気がする。
 そう、世界は5次元なのだ、と大きな声で言えるほど、理解はしていないが。


 そもそも4次元さえ、私にはきちんと説明できない。
 3次元方向に垂直な時間軸というものを想定するのは、5次元に比べればかなり理解しやすいが、それでも体験的に知っているのは「有無を言わさず一方向に進む」ことだけだ。

 時間は、なぜ一方向だけに流れるのか?
 この点を疑問に感じられれば、とりあえず議論の入り口には立てる。

 時間には「向き」があるのか?
 それとも、単にわれわれがそう「感じているだけ」なのか?

 これは力学における「可逆性」の問題になる。
 覆水は盆に返らないが、伏せただけの盆なら簡単にひっくり返せる。

 ある運動が可能なら、粒子の数が増えてもその逆回しは可能か?
 逆再生しても不自然ではない現象として、高校数学で習う放物線運動があるが、大学レベルの力学になると考え方が複雑になる。

 相互作用する粒子は、時間を逆に運動することも可能かという問題。
 これはニュートン力学で説明できる、らしい。

 まあ私には説明できないので、とりあえず量子力学へ進もう。
 シュレーディンガー方程式の時間発展だ。


 ある時間発展が可能なら、逆にした時間発展も可能となる。
 力学法則の可逆性は、ここでも成立する。

 体験的には、いちど崩れたものは元にもどらない、というのが正解のように思える。
 しかし現実的にはあり得ないが、元にもどることもないわけではない。

 要するに「現実」と「学問」の差だ。
 百万回サイコロを振って1を出しつづけるなんて不可能だと言いたいが、宇宙のどこかではそういうことも起こっていると言われると、そうかなとも思える。

 同様に、ここからが「不可逆性」の問題で、覆水盆に返らずや、熱の拡散もそのひとつ。
 それは無限回数だけくりかえすことで、たまにはそういう奇跡的なことが起こるかもしれない、という可能性の問題だ。


 エーレンフェストの壺、という思考実験がわかりやすい。
 特殊な状態からありふれた状態へはすぐに収束するが、ありふれた状態から特殊な状態へと移行する確率は極端に低い。

 時間の流れは、この「特殊な状態からありふれた状態へ」と移行する過程である。
 きのうのことは思い出せるが、明日のことは思い出せない。

 あたりまえのように感じられるが、これを理系の言葉で学問的に説明しようとすると、とてもむずかしいらしい。
 文系なら、比較的簡単だ。

 たとえば「光陰矢の如し」のような言い回しで足りる。
 楽しい時間はすぐに過ぎるとか、若いころの時間は長く感じるなどの経験則は、定量的であるべき時間が弾力的に変わる好例だ。


 さて、これらのすべては、ビッグバンという特殊な状態から開始された。
 現在、われわれは「ありふれた時間」経過のなかにいる。

 これがいずれ特殊な状態へと帰っていくのかどうかはまだわからないが、そのためには長い時間がかかることだけはまちがいない。
 これらは、統計物理学という分野をつくりあげた天才のひとり、ボルツマンが考えた。

 流れが逆転もしなければ、任意の時間を切り取ったりもできない。
 その意味で、われわれは未来にだけ流れる一方通行の3.5次元に生きている、という考え方は妥当のように思う。

 過去を把握しているという意味では、人類は他の生物に比べれば時間軸を正しく理解しているといえようが、4次元への理解はまだじゅうぶんではない。
 5次元となってくると、いっそうやっかいだ。

 それでも、そういう理屈からいって、説明可能な並行世界という設定の物語を書きたいと思った。
 われわれは異世界線との「境界」に生きている──。

 そんな話を書いている理由は、考えることがとても楽しいからだ。
 われながら、いい趣味だと思う。