先日、献血に行ってきた。
すると、トミカをくれた。
そのトミカが手元に5、6個ほど、たまってきた。
また売り払おうかな、と思ったとき、転売禁止という文字が目にとまった。
……え?
もらったもの、売っちゃあかんの?
私は元来、「転売屋」が大きらいだ。
コンサートのチケットや人気のゲーム機など、力ずくで押さえて高額転売する「やから」は、社会の害悪だと思っている。
私自身、たとえどれほど欲しくても、正規の値段でなければ買わない。
だから尊敬する江頭さんのポテトチップスも、転売屋からは断じて買わなかった。
さて、そこまではいいのだが、献血グッズ。
いわゆるノベルティだと思うのだが、なぜこれを売ってはならないのか?
調べたところ、弁護士先生の見解は以下のようになる。
「謝礼品を売る行為は公益目的に反する。高値で取引されれば『売血』につながる恐れもあるため、対策を強化するべきだ」
──待てと。
高値で売買されるかどうかは、売り手の問題ではない。
能動的に「くれる側」が、みずから効果などを考えてノベルティを設定している。
ところが受動的に「もらう側」であるわれわれが、いらないものを売ることが『売血』につながり公益目的に反する、などと決めつけられてはとうてい看過できない。
いらなければ、もらわなければいいじゃない? という指摘には、こう答えよう。
だいたいいらないものばかりだが、比較的マシなのでトミカをもらってきたところ、たまってしまった。
あげたくないなら、どれにしますか?
と職員に問わないように、指導したらいかがか。
そもそも、くれるというものをもらうかどうかを、他人に決めてもらうつもりはない。
すくなくとも私は、そういうのを「よけいなお世話」と感じる。
こんな意見もある。
「献血により献血者が取得した記念品は、血液センターの予算で購入されたものであるにも関わらず、転売サイト等への出品により個人的利得の手段になってしまっている」
どこぞのパブリックコメントらしいが、たいへんゾワゾワするものを感じる。
どういうつもりなのか、推し量るだけで気持ち悪くなるレベルだ。
──待てと。
ではなぜ、献血者の協力によって築かれている血液センターの予算が、そこで働く看護師などの個人的利得を得る手段になっていることには疑義を唱えないのか?
彼らは労働力を提供し、われわれは血液を提供している。
どちらにも一定の利得を手にする資格があるはずだ。
厚労省は「献血は本来、金銭の授受を伴わないものとされている」と言っている。
だから、べつに金銭を受け取ってはいない。
パチンコで交換した景品を買い取ってもらうのがよくて、ボランティアのお礼にもらったものを売るのがダメな理屈が、まったく整合しない。
まあパチンコはそうとうグレイゾーンらしいが、どう考えても、比較にならないほど献血のほうがマシに思われる。
そもそも問題視されているのは、「高額転売」のはずだ。
ではなぜ、たかが千円、二千円レベルのトミカに「転売禁止」と印刷するのか?
典型的なお役所仕事に、「だれかが転んで落ちたので全員立入禁止」というような対応は、日本ならずとも散見される。
とくに世界遺産などで、その手の制限には枚挙にいとまがない。
一部の問題あるノベルティに対応すればいいだけなのに、関係のないものまで転売禁止とは、まさにお役所仕事。
一部のバカなユーザーをきっかけに、管理能力の低い運営者の低能をも暴露する事態だ、と私は思う。
これらの「意見」を見ていて率直に思ったのは、最近よく見かけるようになった「偽善者」と「狂信者」の姿だ。
他人の自由を必要以上に制限しようとする連中への反発と違和感を、強く感じる。
彼らは自分が正しいと思って、これらの発言をしている。
この手の連中が、安楽死における自己決定権に反対したり、中絶の権利を剥奪するというような「狂信的行動」に走る姿は、想像に難くない。
そう、私がこの問題にゾワゾワする最大の理由は、彼らの発言の根底に「偏った正義感」があるからだ。
自分が正義だと思っている人間の語る正義ほど、眉に唾をつけて聞かなければならないものはない。
自分が「いいことをしている」と信じて、したり顔で他人の行動を制限したり断罪したりする連中は事実、一定割合で存在する。
じっさい私も小学生のころ、彼らから強烈なトラウマを植えつけられた。
昔このブログでも書いたが、ここでは長くなるので語らない。
要するに、自分が「正義」とか「善」だと思い込んでいる人間ほど始末がわるい、というアノマリーは健在ということだ。
だいたい私が献血している目的は、自分の健康診断のためだ。
善行でもなんでもない、なんなら「いつか返してもらうため」である。
人間、いつどこで大けがをするかわからない、場合によっては輸血を必要とすることもあるだろう。
そのとき、もし自分が「だれかに血をあげたことのない人間」だったら、胸を張って「だれかがくれた血」をもらえない。
だから私は「貯金」ならぬ「貯血」をしている。
すべては自分のためで、偽善者よろしく、みんなから感謝してもらいたいとか、いっさい思っていない。
そんな私の動機や目的について、ごちゃごちゃ言われる筋合いはない。
さらに言えば、私がもらったものについても、ごちゃごちゃ言われたくない。
もちろん非常識な金額での転売は、どうかとは思う。
そんなものをばらまく運営こそ、指弾されるべきだろう。
だからこそ逆に、トミカくらい売ったっていいとも思う。
前述したとおり、せいぜい千円とか二千円のレベルだ。
ちなみに日本赤十字社によると現在、「400mLに由来する赤血球に血漿約120mLを混和した血液1袋:『27575円』/袋」らしい。
非常識な価格なのはどっちだよ、と思いながら、やけに増えてしまったトミカをどうしようか考えている。
たしかに私は自己利益のために献血しているが、金銭目的でないことだけはたしかだ。
が、これを売るとそういう目的に思われる気がして、不快感がぬぐえない。
いらないものを、欲しいひとに、常識的な価格で売りたいだけなのに……。
それすらも「やらせねえよ」と、やたらに他人の行動を制限したがる「狂信者」との戦いは、まだまだつづきそうだ。