私は宇宙が好きだ。
だいたいそんなことを言っている人々の半分にとっての理由を、私も共有していることを否定しない。
──宇宙のことを考えると、自分の悩みなんてちっぽけだと思える。
まさにこれ、鉄板といっていいだろう。
そりゃあ宇宙と比べたら、だれもがクソみたいなもんで、気にする意味など塵に同じだ。
その点は認めたうえで、すこし考えを進めてみた。
自分を慰めるという用途から、一歩進んで掘り下げる。
……宇宙ってなんだ?
世界の天才たちをして説明できない概念なので、私ごときにわかるわけはないのだが、個人的な印象を言語化する程度のことはできる。
あまりにも広大な範囲から、とりあえず「ブラックホール」をチョイスしてみよう。
みんな大好き、ブラックホール。
無限の密度をもっていて、重力が無限大、現代物理学がさじを投げる、特異点の犯人。
無限……。
だが待て、その無限はおかしくないか。
数学の無限は、とても便利な概念だ。
高校生はもちろん、こざかしい中学生さえ数式で表現できる。
だが、われわれが暮らしているのは「物理」世界だ。
そこに無限が存在する、と言われると反射的に違和感をおぼえる。
宇宙は無限!
そう言いたい気持ちはわかる……いや、たしかにわれわれ塵のような人間からしてみれば「事実上の無限」ではあるのだが、ほんとうに無限か?
そもそも「密度無限」の物体に「大小」がある時点で、意味が解らなくないか?
数学的には、無限は無限でしかないはずだ。
巨大ブラックホールとか、小型のブラックホールとか……。
とある物体が、質量を「無限」に詰め込めるとしたら、それは大きくなったり小さくなったりしないのではないか?
極大とか極限ならわかる。
それ以上、物質が詰まらない状態で、さらに物質を詰め込もうとすれば全体としての範囲が大きくなっていく、というのは実感としてもわかりやすい。
せめて「極限(lim)」といってくれれば、脳内の違和感も多少は収束してくれる。
収束せずに発散するのが「無限」なわけだが、これは数学的にはともかく物理的にはどんな状態なのか、まったくわからない。
ブラックホールの密度は、無限なんでしょう?
だったら、ものすごく小さい一点に、無限の質量を詰め込んでくださいよと、要するにそう突っ込みたいのだ。
数学でよく使う例で、「無限ホテル」というものがある。
無限個の客室があるホテルは、たとえ「満室」でも、新たな客を泊めることができる。
これは「ヒルベルトの無限ホテルのパラドックス」という項目でwikiにあるので、一読いただけるとよいかもしれない。
かなりくわしく記述されているが、私が言いたいのはつぎの一点だ。
無限に客室がある無限ホテルに、無限人数+1の客がやってきたとき、無限ホテルはその客を受け入れられるか?
答えは、受け入れられる。
無限ホテルの名を「無限+1ホテル」に改称する必要はない。
無限+1だろうが無限×2だろうが収容可能、それが「無限」の意味だ。
だったらブラックホールの密度が無限の時点で、なにもかも受け入れてほしい。
無限なんだから、大きくなったり小さくなったりしないでほしいのだ。
と、宇宙の動画を観ながら、ちょいちょい思ったりしている。
素人に毛が生えた、やっかいな視聴者というそしりは免れまい。
無限という言葉遣いをやめろ、と言っているわけではない。
無限は無限で、一般名詞としてとてもわかりやすいことは理解している。
視聴者の対象が一般人のときと、専門家のときでは当然、解説の質も変わるだろう。
その意味で、私はかなり中途半端だ。
このエントリー自体、「無限の意味」への自問自答だったりもする。
自己をマネジメントできない炎上しがちな人々と同レベルにならないために、ある程度は自己解決してから書いているつもりだ。
これおいしいですね、無限に食べられますよ、と笑顔で宣う人物に絡んでいくつもりは、さらさらない。
プテラノドンは恐竜でいいし、宇宙は無限でもいい、世の中には「いろいろな無限」があっていい。
そのくらいゆるい思考に到達すると同時に、たまに突っかかりたくなる気持ちを保つことで、私のなかに住む人格たちのバランスをとっている。
物語を書くために最適化している気もするし、そもそも他人の気持ちを理解できなくなったら終わりだとも思う。
そのうえで、自分の分限をわきまえ、必要以上に絡まないこと。
中途半端、ノンポリ、ニュートラルの人間は、あまり目立ってはいけないのだ……。