父親が、ガソリンスタンドでプリペイドカードを盗まれた、と私に訴えてきた。
新しいカードを買って取り忘れたところ、あとからやってきた男に盗まれた、問い詰めたが知らないと言い張った、らしい。
実家のクルマには、私が後付けのドラレコをつけている。
証拠が残っていないか、と問われた。
エンジンがかかっていて正面であれば残っているかもしれないが、店の防犯カメラを確認してもらったほうが早いんじゃないの、と答えた。
現行犯じゃなければ、あきらめたほうがいい、自分もわるいんだし、とも。
しかし偏屈な父親は翌日、ガソリンスタンドに行ったらしい。
防犯カメラを確認してもらい、場合によっては警察沙汰の勢いだ。
結論からいえば、父親の完全敗北である。
新しく買ったほうのカードを、古いものだと勘違いして自分で捨てていた、ということのようだ。
いまいち理解しづらい文脈だったが、その解釈でたぶんまちがっていない。
要するに、わるいのは全部オヤジ、というオチだ。
防犯カメラ見せろと要求された店側も災難だし、おまえ盗んだろ、と言われた他の客もたいがい災難である。
わが父親ながら、猛省を促したい。
私自身、老化にともなう性能の「劣化」について、最近よく考える。
肉体も脳髄も、若いころと比較にならないありさまについて、ここでも慨嘆している。
あまりにもポンコツな自分自身にひどく落ち込んだものだが……やはりどう考えても、親の劣化のほうが早い。
自分がわるいのに、他人のせいにする、という行動原理は代表的な例だろう。
著しく記憶力を喪失した老人が、被害妄想に取り憑かれて、世話をしてくれている人々を責めさいなむ。
介護分野では、よく聞くケーススタディだ。
と、そこまで考えを進めて、待てよと。
自分のせいなのに他人のせいにするという「性格」の人間は、年齢にかかわらず一定割合でいないか? と。
自分が恵まれていないのは、世の中がわるい。
もっと評価されるべきなのに、だれもわかってくれない。
この手のザレゴトは、残念ながら、しょっちゅう耳にする。
ただでさえ残念な彼らが老化したとき、おそらく手に負えない「モンスター」になるのだろう。
そんなモンスター予備軍が、自分たちが犯罪を起こすのは社会のせいだ、という理屈をこねていた。
とある振り込め詐欺師の理屈は、つぎのようなものだった。
バブルなど見たことも聞いたこともない自分たちは、好景気を知らず年金ももらえず、不公平な社会制度によって搾取されている。
不景気なのは年寄りが金を貯めこんでいるからで、だから年寄りから詐欺った金を使ってやるのは、日本経済を回すために正しい行為なのだ、と。
そんなわけねえだろ……。
さすがに犯罪者の理屈に説得されるほどの情弱は、若者のうちでもそうとうな底辺だとは思う。
そんな彼らの仲間になったおぼえは、もちろんないのだが、うちのアホな父親のところに「お父さんオレ交通事故を起こしちゃって」と、「私から電話があった」らしい。
さいわい母親が「あの子がそんなこと言うわけないでしょ」と、1200万の振り込みは回避されたようだが。
その程度のことすら疑う能力も欠けつつある、劣化した父親には、もののあはれを感じる。
しかし考えてみれば、この手の詐欺師たちは若いくせに、それ以上に劣化しているのではないか?
自分勝手な理屈で、詐欺を正当化する犯罪者集団。
あえて言うが、きみたちは「ボケ老人以下」だ。
この手の詐欺師は底辺だが、バランスをとるため、世の中には「マシな詐欺師」もいることは書いておきたい。
詐欺師という時点で「マシ」という表現もどうかとは思うが、詐欺を知的ゲームとして考えた場合、そう表現しても語弊は少なかろう。
あらゆる業界で言えることだが、詐欺師も、行き着くところまで行けばすごい。
現に、幾多の物語の主人公として数えられている。
要するに「だましあい」だ。
欲望にまみれた他のプレイヤーや、権力の権化である警察をだます詐欺師は、むしろ応援したくなるほど痛快だったりする。
調子に乗っている金持ちや、相手をナメている自称情強の鼻を明かす構図には、悪をもって巨悪を裁くことの「理」が感じられる。
「悪には悪を」といってもいい。
日本のフィクションなら『ライアーゲーム』や『クロサギ』がすぐに思いつく。
海外なら『アメリカンハッスル』や『マッチスティック・メン』あたりだろうか。
とくに有名なのは『ユージュアル・サスペクツ』だろう。
被害者だか参考人だかわからない謎の人物キントは、圧倒的物語力をもって警察を煙に巻く詐欺師として、20世紀を代表する悪役トップ50の一角を飾った。
だましあいの舞台に立って戦うなら、これほど痛快な「必要悪」もない。
知恵があると自認する者を、さらに上回る知恵で乗り越えていく──すばらしい。
残念ながら、ほとんどの詐欺師連中は、自分より弱いものを探し出し、狙いすます。
くだんの振り込め詐欺師たちを筆頭に、彼らは「けだもの」だ。
しかし考えてみれば、弱い者がエジキとなって強い者が生き残る、という構図は、ごく自然な原理原則でもある。
ケモノの世界では、そうやって何億年もの進化をくりかえしてきた。
生きる力の弱い者が、相対的に強い者から順に食われていく。
自然淘汰、適者生存は、たしかに「自然の摂理」だ。
人間は、その域を脱した。
ケモノであることを、やめた。
だったらケモノじみたことはせず、より人間らしい生き方を模索すべきだろう。
カナダ、日本、スイスなどは、その理想的な状態に近い「国ガチャ」トップランカーだが、そもそも「国」なんてものがある時点で、なにかがおかしい気はする。
いや、そもそも「人間らしい」って?
問われても、私にもよくはわからない……。