私は基本的に、芸能・スポーツというジャンルに興味がない。
 どこのチームが勝ったの負けたの、どこの芸能人がくっついたの離れたの、そんなことは金輪際どうでもいい。

 メジャーの大谷サンは、たしかにすごいと思う。
 思うが、下手に記事をクリックしてしまったが最後、以降のレコメンドが大谷サンで埋まって辟易したことがあるので、最近はなるべく見ないようにしている。

 アイドルやスポーツ選手がデートをしたとかなんとか、そういう俗悪な記事の多い雑誌が、たまにタイムラインに乗ったりする。
 最適解は、ただちに「週刊〇〇の記事を非表示」だ。


 そんななか、文春の記事はけっこう推奨されてくる。
 彼らの名誉のために書いておきたいが、文春オンラインにはそれなりにいい記事があるのだ。

 一方で、芸人がどうの不倫がどうのと、クソどうでもいい記事もある。
 それも、これだけヘッドラインに乗ってくるくらいだから、世間ではそうとう騒がれているということなのだろう。

 残念な話だ。
 もっと丹念な調査報道や告発記事など、価値の高い仕事はいくらでもあると思うのだが。


 マスコミ自体、「公器」としての「力」をもっている。
 その力の使い方や、用いるべき方向については、さまざまな意見があるだろう。

 印象操作という目的に対して、マスコミほどプロフェッショナルたるべき集団はほかにない。
 その力があまりにも強いがゆえ、彼らにはやってはいけないタブーもある。

 安芸高田市長と中国新聞のバトルが、わかりやすかった。
 政治家ぎらいの私をもってしても、これはマスコミのほうがダメだろう、と思わせられた。

 たとえばバイアスをかけた質問で「市民の意見」を引き出す、などというやり方は「バレたら」まずい。
 どうやらバレた記者が、市長から詰められている動画を観て、思わず笑ってしまった。

 どう思いますか? という質問ならいいが、あの市長は良くないですよね? という質問はNGだ。
 それを、あなたやったんじゃないですか、というシンプルな問い。

 事実を確認します、あなたの取材方法は正しいと思いますか。
 もちろん正しくないので、記者もすなおに認めればいいと思うのだが、下手に粘るので昔の政治家のような泥沼になっていた。

 おぼえてません、相手はだれですか、何月何日何時何分ですか、地球が何回まわったときですか、みたいな言い訳をしているのをみたときは、さすがに笑った。
 認めるな、粘れ、そんな政治家にも似た「様式美」を感じてしまった。

 この動画じたい、そうとうバイアスのかかった編集だったので、これをもってどちらが正しいとかまちがっている、などと言うつもりはない。
 ひとつだけ言いたいのは、マスコミは反権力であり政治を批判しなければならないとは思う……が、目的は手段を正当化しないことだ。


 一方、安倍派の裏金疑惑への取材には、すこし感心したところもある。
 政治家ぎらいの私でなくても、こいつダメなんじゃないかな、という印象の政治家を辞職まで追い込む流れをつくった。

 カメラのまえで「頭悪いね」と言わせた質問者は、たぶん優秀だ。
 その言い方どうなの、という不快感を日本じゅうにばらまくことに成功した。

 現実にどんな取材だったのかはわからないが、そうとう「イラつかせる質問」をくりかえしたのかもしれない。
 わざと頭の悪い質問をして相手を怒らせ、「失言を引き出す」というテクニックは、たしかに存在する。

 相手が優秀なら、どこぞの市長のように反撃されることもあるだろう。
 しかし愚かな政治家であれば、すべからく退場の契機となる。



──白河の清き魚の住みかねて 元の濁りの田沼恋しき
──世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶぶんぶと夜も寝られず

 静岡のほうでは、うまく田沼になれなかった政治家が、リニアに対して抵抗をくりかえしている。
 JR東海がちゃんと自分に付け届けをして、新しい駅をつくればこんな抵抗はしなかったんだよ、という「田沼知事」の話の決着点は、まだはっきり見えない。

 金権政治はむろん、よろしくない。
 正論で通るなら、それで世の中をまわしたいという「理想」もあるだろう。

 その点、安芸高田市は松平定信のやり方でやっていくらしい。
 どこまでやれるのか、見ものだと思う。

 地方都市で「寛政の改革」をやり遂げることに、どんな意味があるのかはわからない。
 ただ地方財政などというものは、そもそも「超絶優秀な首長」あるいは「神のごときAI」なくして存続不可能だ、とは思う。

 ともかく政治家もマスコミも、いろいろなタイプがいるということだ。
 眺める価値のある「人間喜劇」だろう。

 考えてみれば性加害や不倫も価値のある……いや、それはやはり、どうでもいい。
 趣味嗜好は人それぞれだ。