個人的な経験から申し上げて恐縮だが、私はあまり人間を信用していない。
とくに彼らの「選ぶ能力」には、たいへんな疑問を感じている。
20年来、小説を書いてきたあげくに落とされつづけてきたから、という突っ込みは痛烈なのだが、まあ否定はできない。
私も私の能力を評価しない方々とは、なるべく付き合わなくて済むように努力しているつもりなので、それはそれで自己完結しているとは思うが。
べつに愚痴るつもりはない。
ただ似たような感覚をもつ方々が、社会には多いのではないかと思って書く。
とある経済番組でやっていた話を下敷きに、たとえ話をしよう。
温故知新というテーマで、伝統ある食料品店が一丸となって、新商品開発の話をしていた。
若い社員が自信をもって、これが温故知新です、と新商品をもっていった。
すると社長は、昔の感じが出ていない、とほぼ全部の案をリジェクトしていた。
若手がつくったのは、どちらかといえば新しきを知ることを重視した商品だった。
しかし社長は、もっと昔の感じを出さないと許さないよ、これはボツだ! と。
私は舌がバカなので、この経営者の意見も労働者の意見も、どちらが正しいのかまちがっているのかわからない。
ただビジネスは正直、やってみなければわからないことが多いように思う。
その社員は、温故知新の「知新」のため、新しき人々のためにつくった。
しかし古き人々のひとりである社長は、昔はこんなんじゃなかった、と言い出してボツにする。
若い社員は、昔はこうだったことは知っているが、それを踏まえても、いまはこっちのほうが受けるはずだ、という判断で出したアイデアだった。
しかし社長は、いまがどうこうじゃないんだよ、昔の感じが出ていないんだよ、温故知新の「温故」が大事なんだ、だからダメだと。
……じゃあ自分の気に入った商品をあんたがつくれよ、と思ってしまった。
大衆に向ける商品の議論で、個人の好みでボツにするというのは、説得力がないと思う。
まあ売り出したら全責任は社長が負うんだから当然、という気もしないでもない。
そういう「気概」を感じさせる社長なら、まだ受け入れる余地はある。
しかし万一、社長の言われるまま昔の感じの商品を、そのままつくって売れなかったとしよう。
その社員に対し、おまえがつくった商品なんだからおまえの評価を下げるよ、と言い出しかねないのがこの手の社長だと、私は思っている。
そもそも昨今の食品業界で、そうそう「まずいもの」はない。
つまり、出してみなければ当たるかどうかはわからない「好み」のものだ。
そこに、どう考えても社長よりはくわしく市場調査をしている若手の出してきた案を、なんなら「温故」でも「知新」でも、どっちを出してもそれなりに売れるだろう商品に対して、あえてボツを言い渡す。
こういう経営者が、ほんとうに苦手だ。
似たようなことは、かのスティーブ・ジョブズもやっていた。
もしかしたらジョブズの本を読んで「これマネたろう」と思った、浅はかな経営者が日本にも多いのかもしれない。
わざわざマネしなくても、この手のタイプは一定数いる。
彼らの言い分は、こうだ。
とてもいいアイデアだ、すばらしい……が、とりあえずボツにしておこう、もっとがんばってもらいたいからだ、そうすればもっといいアイデアが出てくるだろう。
──このような経営者とは、断じて噛み合わないタイプのひとりが、私だ。
彼らようなタイプに私が言いたいことは、ひとつ。
いいものはいいと言えよ、拒絶したらすべてを失えよ、だ。
そのアイデアを拒絶した時点で、その手のアイデアから得られるものすべてを失ってほしい。
ダメ出しをした以上、それ以外の新しいものを考えてほしい。
もちろん考えるのが若手の仕事ではあるのだが、拒絶をするならするで、その理由に説得力をもたせるのが経営者の仕事だと思う。
その経済番組では「社長はなにもわかっていない」と社員が愚痴っていたので、すくなくともこの社長には社員を納得させる能力がなかったということになる。
正直、経営者という連中ごときに、それほど「ものを選ぶ能力」があるとは思えない。
私にとっては、えらそうな編集長が、ひとが一生懸命書いた作品を酷評してくる感じと、ものすごく重なる。
その地位にいる以上、それなりの経歴を積んではきたのだろう。
ただ単に学校の成績が良かったとか、世渡りがうまかっただけのケースも、ままあるとはいえ。
また、たとえ実績を誇るタイプでも、たまたまやってみたら成功しただけ、という程度が大半だと思う。
彼らにはそもそも「選ぶ能力」などないのだ、という前提に立ってみると、世の中にある「失敗作」の半分くらいは説明できるような気もする。
だから「やってみなはれ」の精神でやっている昔の経営者とは、とても気が合う。
往時のパナソニックやサントリーといった企業には、プロジェクトⅩ的な郷愁を超えた共感がある。
やってみなければわからないのだから、やってみなはれ、と。
程度問題はあるが、これは正解だ。
別の経済番組では、迷ったらやりなさい、という企業風土が紹介されていた。
やるかやらないかを悩みぬいた末に出てきた案ならやりなさい、と役員会議で決めるような会社だ。
結果は失敗だったりするのだが、それをやった社員はその後、社長になっていたりする。
失敗作の山の中に宝がある、と知っている企業は日本にもまだまだある。
当たりか外れかは、八割がた、時の運だと思う。
その運を人為的につぶすのが、上記もろもろ苦言を述べ立てたタイプの経営者ではないだろうか。
「とりあえずボツ」にしておいて、なんか仕事をした気になる。
えらそうにふんぞり返りたい経営者が、経済番組には意外によく出てくる。
若手も正直「おまえになにがわかる」と思っている。
もちろんなにもわかっておらず、とりあえず「ダメ出ししたいだけ」なのだろう。
ボツにしておけばまた持ってくるので、仕事をしたフリができる。
そういう低レベルな思考は、残念ながら若手のほうも同じかもしれない。
どうせどんな企画をもっていっても最初はダメ出しするんでしょ、それで締め切り直前に、ちょっと調整してもって行ったらGOサイン出すんでしょ、と見透かしている。
それ最初に持ってきた味と同じだけど、あんたそんなこともわからないんだね、舌バカなんだね、と見下される上司も哀れではあるが。
しょせん「好み」の問題で、よほどまずいものでもないかぎり、売れるかどうかは時の運だ。
えらそうにしたいだけの経営者のお守りをするのも、なかなかたいへんだが、社会人というのはたいへんなのだなと、経済番組をみているとよくわかる。
こういうタイプは、おそらく政治家にも向いている。
とくに能力はなくていい、ただ世渡り上手で選挙だけ乗り切れれば、あとはえらそうにしほうだいだ。
──という人間観をもっているので、私はあまり「会社」や「組織」というものに所属することに向いていない。
おかげさまで、きょうもひとり、さみしくキーボードをたたいている。
AIからは、「自己完結型の人は、問題解決能力や自己決定能力などを持っていることが求められる現代社会において、非常に重要です」と褒められた。
一方「コミュニケーションになんらかの問題を抱えている可能性があります」と、的確な指摘ももらった。
おっしゃるとおり、あなたの時代がやってくる。
人間から選ばれなかった私は、AIからは評価される人間になりたい。