前回、イラチな私の麻雀の観方について、すこし書いた。
今回は、具体的に気になったことを記しておきたい。
さっそく本題にはいる。
まずは「食い替え」について。
プロのマージャンを観ていると、だれも「食い替え」をしない。
なんで食い替えないんだろう、という疑問が湧いた。
麻雀を知らない人にはわかりづらいかもしれないが、なるべく簡単に説明する。
「食う(鳴く)」というのは、他家の捨てた牌をもらうことである。
具体的にはポン、チー、カンだ。
同じ牌か、順番の牌の3つめを鳴いて、1メンツとして完成させる。
いろいろなパターンについて説明すると長くなるので端折るが、その鳴いた牌をすぐに捨てる行為が「食い替え」である。
たしかに「食い替え禁止」は、記憶の彼方にうっすらとあるにはある。
卒然、そういえば納得していない記憶を思い出した。
なんで食い替えがダメなんだ?
一見すでに持っているメンツを、わざわざ鳴いて捨てる行為に意味はなさそうだ。
が、もちろんそんなことはない。
鳴きが入ると一発が消える、これは有力な理由だ。
また、たとえば降りている場合など、できるだけツモりたくないときは、食い替えでツモをパスできる。
メリットのある行為だが、なぜ禁止されているのか。
またしてもグーグル先生に訊いてみた。
すると、どうやら「一発消し」のために食い替えられると「イラつくから」らしい。
せっかく門前《メンゼン》で育てたのに、邪魔すんじゃねえよ、という感じか。
これには、すこしがっかりした。
いくらなんでも、セコすぎやしませんか?
リーチをした側にとっては、たしかに一発を消されて残念だろう。
が、鳴いた側も門前なら点数は下がるし、副露《フーロ》するわけだから自分の手牌をさらす。
それなりのリスクはあるわけで、消極的な仕掛けとさえいっていい。
それでも、せっかく育てた手を、ローリスクの食い替えで消されるのはイラつく、という意見のほうが強いから、禁止などというルールにまでなった(らしい)。
マナー程度の弱いローカルルールならともかく、「禁止」にまでしてしまう。
そこには「めんどくさいやつら」の力が見え隠れする。
要するにモンスタークレーマーだ。
相手をしていると労力が無駄なので、なんとなく言い分を受け入れてしまう。
麻雀業界にも、この手のモンスターが多かったということなのだろう。
彼らにも彼らの理屈はあるのだが、なんというか、戦争中の国にマナーを説かれているような違和感があった。
麻雀のルールだと5翻で満貫だが、3翻や4翻でも符によっては満貫になる。
跳満は6、7翻、倍満にいたっては8、9、10翻だ。
せっかく裏ドラが2枚乗ったのに、同じ倍満、ということもありうる。
1翻ずつ確実に点が高くなっていく、というわけではないのだ。
そういう、根本的に「ゆるい」感じ、まあこんくらいの点数でやりましょうよ、という遊戯が麻雀だと思っている。
そこに、一発を消されてムカつくというような理屈は、なじまないように思う。
もちろん真剣に遊ぶのはすばらしい。
が、食い替え禁止までいくのは、さすがにクレーマーの気配が濃厚ではなかろうか。
もうひとつ、観ていて気になったことがある。
盲牌だ。
牌を引いてくる親指を表面に当て、感触で図柄を読む。
私が中坊のころも、どれだけ当てられるかで遊んだものだ。
もちろん百発百中だった。
白だけは。
さて、これをカメラのまわっているところでやられると、どうなるか。
親指を牌の図面に当てているわけなので、われわれ視聴者には引いてきた牌が見えない。
動画として流すことが目的なのに、プレイヤーがわざわざ見づらくして妨害する行為だ、と感じられる。
実際問題、プレイ中の盲牌という行為にはほとんど意味がないと思うのだが、やっているプレイヤーが意外に多くてげんなりした。
ただのクセなのだろう。
それはわかるが、ただでさえ無駄なアクションに盲牌を加えて「気合を表現」しているらしいプレイヤー、そうとううざい。
1回1回は短時間とはいえ、積み重なれば相応の時間が無駄になる。
流れのなかで見えてはくるが、たかがツモを見ることに視聴者の努力が必要とされるので、そのうち画面を見ていること自体が苦痛になってくる。
結局のところ「運ゲー」で楽しくワイワイやりましょう、という基本コンセプトのゲームが麻雀だと思っている。
長考や食い替えや盲牌ごときでイラついている私のような人間には、そもそも向いていないのかもしれない。
じっさい友だちもいないので、プレイする資格すらない。
だから作業用動画として流すだけで満足している。
麻雀は楽しむためにやる、宇宙だ。
おおらかな気持ちで、人生を賭けるに値するのだろう……。