最近よくマンガを読んでいる話を、前回くらいに書いた。
そのときは少年漫画について言及したので、今回は少女漫画について書きたい。
私は爾来、少女漫画の対義語は少年漫画ではなく、エロ漫画だと思っている。
あらかじめ申し上げておくが、どちらのジャンルを批判するつもりもない。
エロ漫画とは、言うまでもなく「男の性欲」に特化している。
そんな女いねえよ、という理想の女を描くことがその本質だ。
一方、少女漫画のターゲットは基本、少女である。
そんな男いねえよ、という理想の男に囲まれる「ふつうの」少女を描くことが、少女漫画の核心といってよいだろう。
もちろん、どちらのジャンルも型にはまらない特殊なパターンはいくらでもある。
が、基本はそれぞれの読者層にとって、都合の良い異性を描くこと、だ。
どちらもりっぱに、需要に応えている。
少女漫画が、もっぱらドロドロした恋愛に偏りがちなのも、『源氏物語』の昔から変わらない。
基本的には市場原理で、光源氏なりイケメン王子なりの顧客との取引関係を描いている、と思って眺めると理解が早い。
少女漫画の主人公は、ファーストキスとか本気で好きとか付き合うとか、まれに肉体関係まで進むものもあるが、要するにそのへんの「心」や「身体」という商材(サービス)を、他店に行かない「彼氏(固定客)」に、できるだけ「高く売る」ことを目的としている。
では、どうやって?
まず基本は、そんな値段じゃ売れませんね、と「もったいつける」。
売りたくてしょうがなくても、高値をつけてもらえるまで我慢して粘る。
少女漫画の主人公が、いやそうな顔をして悩んだりしている顔は、そういう「商人」の顔と完全にダブる。
作中の当人の気持ちとしては、おそらく「純粋」なのだろう……が、私の目線からはあまりリアリティがない。
そもそも、なんでふつーの女子のまわりに、そんなイケメンや金持ちが集まってくるのか、という時点でおかしいのだ。
若い女というだけで金を払うのはブサメンやヒヒオヤジであって、どう考えても才能豊かな金持ちのイケメンではない。
そんな「高め」の男からアプローチしてくるだけでも変なのに、そのうえ「いやがってみせる」。
なぜか?
娼婦も花魁クラスになると、大名を相手にも誇りを示さ(もったいつけ)なければならないからだ。
一般に女は感情表現が豊かで、よく笑う。
進化生物学的に、「みんなと生きていくため」に必要だから、らしい。
笑顔は商売にもなる。
スマイル0円というのは、ただの都市伝説だ。
だれが笑うか、どんな状況かにもよるが、ほとんどの笑顔は「仮面」である。
感情に絞め殺されるまえに笑っておけば、すくなくとも場の緊張はゆるむ。
そんな「処世術」も万能ではない。
決断を要する局面では、しばしば弱点のほうが目立つ。
救いの手を拒絶するが、ひとりで生きていく目算はない。
解決能力皆無のくせに他人の秘密を暴き立て、問題を「いっしょに悩んであげる」ことで、いいことをしたつもりになっている。
自分で放り出して、あとからじたばたする。
ちょっとしたことで派手に傷つくくせに、自分は平気でやらかす。
いやなことは当然拒否するが、その自由にともなう責任は負わない。
要するに「いやよいやよは、いやなんです」という一般原則が通じない。
「いやだ」という主張が拒絶ではなく、相手に高く買わせる手段に成り下がっている。
少女漫画は、少女たちをそんな安い商人に仕立て上げようとする作品群のようにも見受けられることが、まれによくある。
以上、ざっと思いついた少女漫画の特徴を書き出してみただけで、ぶっちゃけ気が合わない。
とくに明確な男女の一般的性差が、致命的といっていいほど大きな印象の差を、物語にもたらしてしまう。
男は、聞いた話について、できるだけ解決しようとする。
女は、ただ聞いてほしいだけで、べつに意見などは求めていない。
おっさんに相談してみるとわかるが、だいたい得られる答えはゼロかヒャクだ。
それができれば苦労はしねーんだよ、という目的地への最短距離かつ無責任な助言はとりあえず得られるが、ほとんど役には立たない。
おばさんに相談してみると、無責任さについてはおっさんと大差ないが、押しつけがましいことはあまり言ってこない。
話を聞いてやった自分に満足し、にやにやと笑っていることが多い。
どちらが正解か、という話ではない。
相談する側が必要としているものが、それぞれ異なるからだ。
私のように、なにか言われると反対のことがやりたくなる、という厄介な性格の人間にとっては、どちらもまっぴらだ。
そんな人間の心を騒がせるのは結局、自分のことは自分で決めるしかない、という信念を揺るがす「別の正義」が、少女漫画にはあるような気がしているからだろう。
登場する「少女」は、ほとんどが「こども」である。
精神年齢の低い行動については目をつむるとしても、不快なのは「成功した娼婦の不都合な部分だけ糊塗している」部分だろう。
私は娼婦という職業を敬愛しているので、彼女らに対して失礼にならないように書くのに必死だが、控えめにいってエゲツナイ。
安っぽい願望が無造作に肯定されることへの不安、とでもいうべきか。
気高い花魁のみに許された客に媚びない姿勢を、ろくな努力もしない端女《はしため》がやらかして、しかもなお成功してみせるかのような。
こじらせた自意識を共有できる主人公は、だから「中の上」くらいの階級に設定される。
損得抜きの慈善事業のフリをして、デッカイ鯛を釣ろうとしている偽善者、それも確信犯的な商売人という表現でもいい。
「女の子はみんなプリンセス」という、ひと昔まえの商業主義にも通じる。
このブログでも連綿と描いているとおり、そもそも私は、商人や政治家という職業を大の苦手としている。
この手の物語と相性がわるいのは、なかば必然といっていいだろう。
というわけで、女的思考回路だとすんなり受け入れられるのだろう展開が、男である私にとってはイライラしてしょうがない。
おまえほんといいかげんにしろよ、と1冊あたり1回くらいは思う。
この苦行をだいぶくりかえした結果、女的思考についてもそれなりに学習はできた。
サイコパステストを受けたときにのように、こう答えればいいんでしょ、という模範解答を類推できるようにもなった。
それを純粋に「楽しんでいる」と呼べるかどうかはともかく。
こうして少女漫画を読むいい年をしたおっさんは、意味のある消費をしている、と言っていいのだろうか……。