最近まとめてマンガを読んでいる。
 たまに猛烈にマンガを読みたくなることがあり、かつては漫画喫茶などに入り浸ったものだった。

 しかしここは田舎なので、そういう洒落たものは近所にない。
 さいわいネットで、いくらでも読める時代になったので、いまはほぼ電子書籍に頼っている。

 かつてはマンガの手法を勉強するために読むことが目的だった。
 いまは完結した漫画を、ふつうに娯楽目的で読んでいる。

 いい年をした元国会議員の容疑者が、弁護士に週刊少年ジャンプの差し入れを要求したことが話題になった。
 その年でジャンプかよ、という巷間の突っ込みについては、べつに年齢や性別は関係ない……こともないとは思うが、すくなくともなにを読もうがよけいなお世話ではある。

 じっさい私も、少年漫画や少女漫画をふつうに読んでいる。
 今回は突っ込むことが多いので、タイトルを挙げるつもりはない。


 少女漫画がどれだけ苦手であるかについては、このブログにもたまに書いている。
 それでも読むのは、自分の知らない考え方や特有の感覚を知れるからだ。

 少年漫画については、ガジェットは多少変わっても不変の展開に、なつかしさをおぼえることが多い。
 読者は全員バカだと思って描け、という命題に忠実であることを確認して安心する。

 よくあるパターンてんこ盛り、ちょっとした組み合わせの問題。
 物語を進行させるために多少の不具合、矛盾、強引な設定は許容する。

 さきほど読んだ犯罪モノもご多聞に漏れず、まずは悪者の言いなりになる、なぜなら窮地に陥る必要があるから。
 昔のセキュリティホールがそのまんま、おそらく解決に必要な伏線のつもりだろう。

 衛生当局なにやってんの、と言いたくなるような、主人公たちに解決させるためにする放置政策はいいとして。
 人質が無限の効果を発揮する万能システムについては、さすがにそうはならんやろ、と鼻白んでしまうのは少年の心を失ってしまったからか。


 細かいことが気になってしまうのも、年のせいかもしれない。
 フグの毒に当たった、治療法はない、とだいぶえらそうな医者が言っていた。

 横隔膜がけいれんし、呼吸できなくなり、人間が死ぬまでにかかるのは数分だ。
 作中に指摘されているとおり、たしかにこの猛毒自体を無効化するような治療法や解毒剤は存在しない。

 が、対症療法はある。
 テトロドトキシンは神経毒で呼吸器系をマヒさせる、ということは……。

 そう、ごく初歩的な設備、どこの病院にもある人工呼吸器があればいいのだ。
 死ぬのは呼吸できなくなるからであって、だったら強制的に呼吸させてやればいい、という簡単な理屈を「えらいお医者さま」が知らないって、どうなの。

 もちろん人工呼吸器だけで確実に助かるわけではないが、一晩もあれば毒は自然に代謝される、人体の神秘だ……と、どこかで読んだ気がする。
 確認のため調べなおしたが、おおむね事実らしい。

 私くらいの人間が知っていることを、プロの医者が知らないのは、さすがにおかしくないか?
 まあ知らないのは医者ではなく漫画家なので、リサーチしない担当者にでも突っ込めばいいのだろうか。


 自分で小説を書いていても、この手の悩みは尽きない。
 世の漫画やドラマなどには、よく「天才」が出てくるが、陳腐なシナリオライターの思惑通りに動く天才なんて天才じゃねえよ、と突っ込みたくなるシーンがよくある。

 端的に言えば、シナリオが設定に負ける。
 天才とはかけ離れた、たとえば私のような低能な書き手が、作中に天才を登場させようとすると陥りやすい罠だ。

 書き手としては恥ずかしいと感じるが、そう感じるのがふつうだ、とまで言うつもりはない。
 とくにSFなど書いていると、世に「SF警察」と呼ばれるマニアな人々に突っ込まれるリスクが高いので、いちいち気にしていたらキリがないという考え方もありうる。

 私自身、とある小説家に言葉のまちがいを指摘され、恥じ入ったことがある。
 知らないことだらけであることを強く自覚はしているが、それでも最善は尽くしたい。

 どんなマンガや小説も、だれが読むかはわからない。
 他人のまちがいを見つけるたびに、自戒の一助としている。