うちの母親は「呑気なババア」だ。
 ある日、おかんは気づいた。

母「ここんちの冷蔵庫は大きくていいね」
 スカスカの庫内に、頼んでもいない買い物を入れながら言う。

 たしかにうちの冷蔵庫は、一人暮らしには大きすぎる6ドアだ。
 とはいえ、自分の家も同じかもっと大きいはずなのに、うちにくるたびに同じことを言う。

私「それは冷蔵庫に、よけいなものを入れていないからだよ」
 ハッと気づくおかん。

 別の日。
 うちの裏には畑があって、家族で消費する程度の野菜がとれてくる。

母「やっぱり畑があるといいね。土地は大事だね」
 とれたての野菜を切りながら、浅薄なことを言う。

 すると畑仕事からもどった父親が、苦々しげに言う。
父「俺が世話してるから野菜ができるんだよ」

 ハッと気づくおかん。
 お察しのとおり、あまり考えてしゃべるタイプではない。

 目のまえの事象だけで、物事を判断する。
 なぜそうなっているのか、俯瞰的な視点がない。

 もちろん冷蔵庫が大きくなければ広く感じないだろうし、土地がなければそもそも畑を耕せない。
 それはそうだが、それだけではない、「両輪がなければクルマは走らない」のだ。

 アホなおかんではあるが、たまに本なども買っている勉強しているようだ。
 人間死ぬまで、いろいろ気づいて賢くなる余地はある。


 とはいえ、このばあさまはアホである。
 アホなのだが、それなりの処世術ももっている。

 相方のじいさまは、仕事だけはまじめにやる。
 この点、問題なくだれもが認めている。

 まったく空気を読めないADHDっぽいところはあるが、仕事については真摯だ。
 たぶんこの性格は、高度経済成長時代の猛烈サラリーマンには、それなりにマッチしていたにちがいない。

 問題は、すぐ怒ることだ。
 瞬間湯沸かし器のように怒り出す頑固おやじの姿は、ちゃぶ台をひっくりかえす昔の漫画のキャラをほうふつさせる。

 年老いてもその魂は変わらず、いいおっさんである息子が眺めているまえで、じいさまがばあさまを罵倒している。
 たしかに、ばあさまもたいがいアホなのだが、じいさまもそんなに言わんでええやろと思う。

 するとばあさまは突然、笑いだす。
 あはははは。

 なんとなく、場が流れる。
 なるほどな、と思う。

 じいさまの怒りが、うわすべりしてなくなる。
 むしろ無駄にエネルギーを費やして、滑稽なじいさまですらある。

 ばあさまの処世術だ。
 夫婦が時間をかけて築き上げてきた約束事なのだな、と察する。


 この夫婦の性格は、明確に真逆だ。
 ともかくじいさまは頑固で、決めたことをちゃんとやる。

 雨が降ろうが雪が降ろうが、やると言ったらやる。 
 裏の畑を眺めながら、こんなに降ってるんだからやめといたらいいのに、と思っている先でカッパをまとい、地味な作業を淡々とやっていたりする。

 一方、ばあさまは怠け者だ。
 やるべきことをやらない、というほどでもないが、まあ抜けている。

 彼女がテキトーなことをやっていても、もう怒る気にもならない。
 いや怒るのだが、ばあさまなのでしかたない。

 正直あまり頼りにはできない。
 代わりに作業してやる必要さえ出てくるが、たいしたことではなくても、他人の役に立っている気にはなれる。

 期待値を下げる、という効果も抜群だ。
 彼女が相手なら基本的に失敗しても、責められるということがない。


 やることはやるが、だいぶ腹の立つ欠点をもったじいさま。
 やることもろくにやらないが、場の雰囲気を和ませる、というか笑わせてくれるばあさま。

 このまえもコケて、前歯を全損していた。
 修理費が何十万もかかったらしい。

 その顔で笑われると、もうどうしようもない。
 いいから口を閉じててくれ、私がやるから、となる。

 じつにおもしろい親だ。
 何十年も、これでうまくいっている、らしい。

 もちろんばあさまは、じいさまについて苦情をクドクドとくりかえすし、じいさまはじいさまでとりつく島がないようなところもある。
 世間の夫婦についてはよく知らないが、まあ「これはこれで成立している」ということなのかもしれない。


 そんな両親の息子は、ASD気味のひきこもりだ。
 人間関係に背を向けて、孤独な半世紀を過ごして悔いがない。

 あまり遺伝子に恵まれているとはいいがたいが、世間から排除されるほど害悪でもないとは自任している。
 このままひっそりと死ぬまで生かしてもらいたい、と思う。