静岡の知事が批判されている。
リニアの邪魔をしていることが、一部の人々のお気に召さないからのようだ。
大きいものや動くものの大好きな方々にとって、これはゆるしがたい蛮行である。
気持ちはわからないでもない。
しかし冷静に考えてみよう。
政治家とは、そういうものではないか?
企業がなんらかの事業を行おうとする。
企業はその利益を、あらかじめ政治家に配分することで、ようやく事業が成立する世界というものは、現にある。
言い換えれば政治家は、そういうお金をもらうのが仕事である。
昭和の大臣がわかりやすいが、各種の「陳情」は、要するに利益の「分配」交渉にほかならない。
基本的に、与党に属する議員は「推進」で利益を得る。
一方、野党にも手段はある、強硬な「反対」だ。
ひたすら事業にならないように、企業が利益を得ないように、多少の無理筋でもおかまいなし反対しておく。
と、あいつ邪魔だな、ちょっと利益配分して黙らせようぜ、となるかもしれない。
こうして「反対」がカネになる。
知事はただ、この仕事をしているにすぎない、としたらどうだろう。
わが群馬県でも、似たようなことがあった。
県内に駅をつくらないなら線路通させないよ、長野新幹線さんや!
そうして非常に使いづらい山奥の秘境に、駅をつくらせた。
群馬県民のほとんど、なんなら地元在住の私ですら、正直あまり使う気にならない秘境駅だ。
もちろん一部の政治家と、その取り巻きだけは利益を得ただろう。
群馬ばかりではない、全国の利用客の少ない駅はだいたいそう……とまでは言わないが、そういう現実があることは否定できない。
さて、くだんの知事。
どうやらこの反対によって利益の分配を受ける権利を、企業に対し影に日向に何度も要求したらしいが、すげなく拒絶されたということのようだ。
リニアの駅をつくらせるのはむずかしい、だったら空港のほうに駅つくれや。
おそらく周辺の土地には、取り巻きが思惑の買いを入れているのだろう。
──だけどそんなんつくっても、赤字垂れ流すだけでしょう。
当然のように企業は拒絶した。
たしかにJR東さんは、群馬の秘境に駅をつくりましたよ、だけどうちらは天下の東海ですからね。
他社が利便性の低い駅をつくって地元に媚びるのは勝手だが、自分たちはごめんこうむりますね。
これには政治家もご立腹。
政治というものの本質、存在意義を揺るがす話だからだ。
すこし調べたところ、静岡県の知事は無所属だが、連合立憲系で共産党まで自主支援しているらしい。
ということは、反対したらお金くれるのがあたりまえでしょうが、企業さんや! というメンタリティが刷り込まれている蓋然性が高い。
戦後史の本を読んでいると、ある種の「運動」や「活動」にしばしば出会う。
「闘争」を旨とし、仲間ですら意見が異なれば「総括」し、埋めていく恐怖の集団はその代表格だ(地元の山にも埋められたらしい)。
その延長線上にいるプロ市民の仕事のひとつが、空港やダム建設の「反対」だ。
じっさい無駄な事業はいくらでもあって、彼らの行動を全否定はしない。
激しく反対だの質問だのを突きつけ、存在感を示す総会屋のようなもの。
ほどよいところでお金をもらって(払って)解決する、というのが残念ながら過去連綿ありふれたビジネスになっていた。
このルールを守らない企業に、政治家がブチ切れるのは、ある意味で理解はしやすい。
おこぼれにあずかるべき地元の建設会社やマスコミなども当然、知事を支持している(静岡新聞によると15団体)。
政治家と、その取り巻きの利益こそ、地元にとって最重要。
旧態依然にして金科玉条を守らない、JR東海こそゆるすまじ。
そんな「点」をもっと俯瞰してみると、大きな政治闘争の構図も透けて見える。
保守王国の群馬には駅ができたが、革新系の静岡にはつくらせない、という事実。
やつらによけいな政治資金を与えるんじゃないよ、この機に干上がらせてやるんだから。
駅をつくらせることの得意な与党は、野党に同じ甘い汁を吸わせたくない。
俺はいいけどおまえはダメ、という謎の特権意識がぶつかり合う政治の舞台。
お忘れなく、それが政治家なのだ。
と、これはあくまで私見なので、必ずしも事実ではないことは申し述べておく。
ただそういうふうに理解すると、物事がよりシンプルになり、説得力をもつ。
いずれAIも、この手のフレームワークを実地に学んでいくだろう。
政治家、根回し、利益誘導、パワーポリティクス、吐き気をもよおす概念に縛られた俗悪な人種の相手を、「厳しい」設定のAIに任せられる未来は明るい……はずだ。