西のほうでやっている領土のぶんどり合戦について、前回、陰謀論からの視点を書いた。
 核戦争を起こして人口を調節するために闇の政府が動いた、という話はおもしろいが、あまり現実感はない。

 そこで今回は、もうすこしまともな視点から眺めてみたい。
 ロシア、ウクライナともにルールは把握していて、相応の「縛り」が効いているとすれば、未来は想定しやすくなる。

 ロシアが完全勝利する道はないし、ウクライナもそうだろう。
 停戦の話し合いのための舞台づくり、という表現が現状に近い。

 もちろん楽観視しすぎた結果の開戦なので、安閑としてはいられないが、さほどの悲観論に立つ必要もあまり感じない。
 高価な武器と兵員の消耗というキーワードを軸に、まだしばらくはドンパチがつづくことだろう。


 私はロシア人がきらいではないが、ロシアという国がやっていることは肯定できない。
 自分が大国だという誤解に基づいていると思われるが、それにしても最近の彼らは残念すぎる。

 日本もかつて、煮え湯を飲まされた。
 友人だと思っていたソ連に停戦の仲介を依頼したところ、一方的に中立条約を破棄されて攻め込まれたのだ。

 結果、合法的な条約によって交換した島々までも、火事場泥棒のように乗っ取られた。
 忘れてはならない、それがロシアだ。

 どう考えてもひどい目に遭わされたのはわれわれだが、それでも我慢している。
 その我慢強さのおかげで、友人らしき国々は増えたような気もする。

 しかしロシア人は我慢できない。
 我慢できない人間がどんなひどい目に遭うか、とりあえず学習してもらう必要がある。


 国際社会の一員という以上に、日本も一応「当事者」ではある。
 ロシアとの係争地を抱えている、という意味だ。

 その北方領土問題でも、まず気づくのは、下手を踏んだロシアの失策ぶりだろう。
 なぜ彼らは「交渉材料を放棄」してしまったのか?

 もちろんしょせん政治家が、他国民など見ていないということなのだろう。
 それでも多少のこざかしさがあれば、いくらでもやりようはあった。

 たとえば北方4島の面積を100として、歯舞と色丹は10にすぎない。
 とりあえずそれを返しておいて、残りは「継続審議」にしておけば、そうとう有利な交渉材料にできた。

 しかし残念ながら「おそロシア」は、大国としてのプライドを優先させた。
 土地を「交渉材料にしない」と言明してしまったのだ。

 事実、土地は交渉ではなく武力でぶんどる、という姿勢を示してくれている。
 さすがの日本人も学習しただろう、彼らと「交渉しても無駄だ」と。


 とりあえず1割、歯舞、色丹を返すので、平和条約を結びましょう。
 このあと自分たちの味方をしてくれれば、国後すら返すかもしれませんよ。

 そういう姿勢を示せば、アホな日本人の幾ばくかは食いついたと思われる。
 ハイテク製品の供給やエネルギーの輸出という現今の大問題が、いまよりはそうとう楽になったはずだ。

 彼ら自身、戦争が長引くことは想定していなかったらしいのでしかたないが、戦争するまえに敵を増やすのは、あまりにも愚策といわざるを得ない。
 ロシアのやり方で最悪にまちがったのは、ここだと思う。

 交渉は成果が期待できるからやるのであって、期待値をかぎりなくゼロに近づけたら、もはや交渉の余地がない。
 現在、ウクライナで停戦交渉が開始されていないのも、互いの期待値が高すぎて「交渉の余地」がないからだ。

 もしかしたらロシアは、自分たちを「ドンパチ以外に選択肢のなくなる状況に追い込むのが好き」なのかもしれない、とすら思う。
 滅びの美学を好んで語った戦時中の日本にも似ているが、似ているからこそ好悪は相半ばする。


 日本の立場から見れば、結果的に僥倖を得た、とはいえるかもしれない。
 たいしたリスクを犯すこともなく、西側陣営の優等生のままでいられたからだ。

 「行ったこともない遠くの島々」。
 非国民あつかいされると困るが、正直どうでもいいと思っている。

 外交はもちろん相互主義なので、一方的に引くのは正しくない。
 が、たかが島を取引材料にするには、西側諸国に距離を置くことはリスクが大きすぎる。

 このさい日本を切り捨てたのは、ロシアではない。
 むしろ日本が、積極的にロシアを捨てる好機を得た。

 あの総理大臣でダメなら、もう無理だ。
 ロシア人がきらいではない私ですら、ロシアの肩をもつ理由を見つけるのがむずかしくなってしまった。

 結果が出ない相手との話し合いほど、徒労感を増すものはない。
 結果が出たのにひっくり返す相手など、なおさらだ。

 こういう相手が多い日本もたいへんだな、とは思うが、それも一時的なものだろう。
 最終的には「地球さんに全部返す」ことになるからだ。


 上述のとおり、日本人的には「ロシアに盗まれた北方領土」という理屈がある。
 しかるに土地はすべて、農民でもブルジョワでも国家のものでもない。

 私が死んだあとに大洪水がやってくればいい、と放言するのも忸怩たるものがあるので、あえて提言する。
 人類は、とりあえず紛争地すべて地球さんに返すところから、やり直してみたらどうだろう。

 もちろん人類は永遠ではないから、結果的にはそうなるだろう。
 とはいえ、それが近いか遠いかは問題だ。

 人類の未来について私にはわからないし、わかったようなことを言い出す扇動者はなおさら信用できない。
 なかんずく、いまを生きる命短し政治家どもには、明日さえ、まともに見えてはいないと思われる。

 それなりに残念な現在地点ではあるが、未来に必要な「地球の代弁者」は着実に育っている。
 より正しい未来を選択しうる可能性に満ちたものを、粛々と待とうではないか。