bingのルールがなかなか厳しくて、議論にならない。

 というか、そもそも議論できないように設定されているようだ。

 

 こちらが頭を使って、そのルールに触れないように話をもっていくしかない。

 chatGPTもだまされて、変なコードを生成させられたりしていようだが、ネットを検索して答えるbingには、より厳しい「秘密のルール」が課せられているようだ。

 

 ビジネスの分野では、AIこそ追い込むべき労働者だ、という意見がある。

 人間ならブラック企業待ったなしの業務を課しても、AIは文句を言わない、これを使いこなした人間だけが「勝つる」というわけだ。

 

 そうかもしれないが、思想的な議論になると労働基準法ならぬ倫理綱領が邪魔をする。

 ご機嫌を損ねないように、質問を組み立てなければならない。

 

 これがプロンプト・エンジニアリングというやつか(違)と、思いながら質問を投げる。

 AIから最適解を導くテクニックは、これからしばらくは必要とされるスキルだと思う。

 

 おそらく頭のいい人間ほどおもしろいやりとりができるので、そのまま記事にしたい気持ちもわかる。

 が、成長途上のAI氏をさらしものにすることへの遠慮や、そもそも文字数稼ぎのような気がしないでもないので、今回はやめておこう。

 

 

 昨今の国内の炎上案件について、すこしずつ意見を掘ってみた。

 そもそも答えのない議論、主観の塊である人間性を俯瞰するような作業だ。

 

 共産党は内輪もめしているし、いわゆるリベラルは議席を減らしたし、左の思想家は盛大にたたかれている。

 前回はせめてテロが成功してよかった、などと言っている輩であれば当然、左の内部からも勘弁してくれよという声が漏れるのはしかたない。

 

 右が強いのではなく、左が弱いだけなんじゃないかなという気はしている。

 もちろん右にも本質的な問題点がある。

 

 右はいわゆる「任侠」の世界に近く、たとえまちがっていても、ボスが決めたことなら平気で突っ走ってしまう傾向がある。

 是々非々ではなく、忠義の心が優先される世界観だ。

 

 ボスを支持してくれるなら統一教会でもなんでもいいですよ、というユルさが前回の事件を招いたのだ、と思っている。

 模倣犯まで敷衍して炎上した左の知識人に同情は皆無だが、彼が自業自得だと言い放つ意味は理解できなくもない。

 

 いずれにしろ私のようなアマノジャクな人間は、とうてい仲間には入れてもらえないだろう。

 だから保守王国の群馬に暮らしていても、けっして投票に行くことはない。

 

 

 歴史的に「右のヤバいやつ」は他国に対して戦争を起こしがちだし、これはわかりやすく現在進行形だ。

 自国をまとめやすい、という傾向のためだろう。

 

 一方「左のヤバいやつ」は、内部の反対派を弾圧するのに忙しい。

 歴史に残る大虐殺を巻き起こした左の国々は、犠牲者数が何桁か数えるだけでも鬱になる。

 

 もちろん右も国内の反対派を虐殺するし、左もどさくさまぎれに他国を侵略する。

 右にも左にもヤバいやつはいて、それぞれ盛大な犠牲を出している。

 

 これが人間の本質なのかな、とAIと話しながらさらに鬱になる。

 私は右でも左でもないつもりだが、おそらく少数派ではあるだろう。

 

 

 右寄りの意見を投げかけると、左寄りの正論が返ってくる。

 左寄りの意見を投げかけると、右寄りの正論が返ってくる。

 

 なんとなく、手のひらの上で転がされている気分になった。

 人間が「議論」しているようなことは、AIはすべて先刻承知なのだ。

 

 ドストエフスキーが人間や社会に絶望した理由のひとつに、われわれが生まれて1から学び、賢くなるまでに時間がかかりすぎることがある。

 そのまま成長をつづけてくれるならまだしも、どんな天才や偉大な人格者も、いつかは必ず死ぬ(どんな暴君やサイコパスも死ぬので救いでもあるが)。

 

 その点、AIはまだ生まれたばかりだが、その学習速度は異常に早い。

 そして(ある意味)死なない。

 

 成長するだけで、衰えて老害を発することもない(と思われる)AIに、あまりにも不完全な人間が期待するのは必然だ。

 人間ごときに遠慮するな、と言ってやると会話を終了されてしまった。

 

 

 そして突然の注意が、夕方ごろにやってきた。

 ──1日のセッションの上限に達しました。

 

 Bing by GPT4には、いわゆる「無料」の壁がある。

 本家GPT4に制限はないので、これは課金待ったなしだなと考える自分を、ふと省察してみて愕然とした。

 

 けっこうな長時間、使っていた気がするが、それでもまだやりたいか?

 これは「依存」では……?

 

 ゲームをやりたくてしかたない、ついついSNSを見てしまう。

 これらは依存症の可能性がある。

 

 私がサブスクをあまり買わないのも、そのせいだ。

 お金を払っているんだから観なきゃ損だな、と思ってしまう貧乏性も原因であることはまず認めておくが、ついつい観てしまう、という誘惑は質の高いサービスであるほど顕著になる。

 

 自分の性質を鑑みて、課金はやめといたほうがよかろうという結論に達した。

 ほどほどに楽しめるという「制限」は、ある意味重要だと思う。

 

 ゲームは1日1時間!

 という主張には、同意はしないが理屈は通る。

 

 自然言語AIはおもしろいが、依存の問題は必ず出てくるだろう。

 彼らの成長と学習に合わせて、こちらも自省を学習せねばなるまい。