日曜日に統一地方選挙があったらしい。
 そういえばうるせえな、とは思っていた。

 選挙の時期には、いつも政治家への敵意が募る。
 とくに先週、もっぱら昼間眠っていた私は、何度か壁を殴らせてもらった。


 ここで恥ずかしながら、告白しなければならないことがある。
 私は選挙権を得てこの方、一度も投票行動に出たことがない。

 意識高い系の人々などからは、よく口を極めてののしられる。
 投票権を行使しない人間に、政治に対して文句を言う権利はない、なんなら人権すら放棄しているようなもの、くらいの勢いで批判される。

 まあ言いたいことはわからないでもない。
 そんなわけで人権のない私だが、それでもなんとなくニュースを眺めていて気になった人物がいたので、ひとことだけ言わせてもらいたい。

 ぼろ負けした立候補者が、女性に対する見えないハードルのせい、的な敗戦の弁。
 なにその言い訳、負けたのは男社会のせいなの……。

 状況は最初からわかっていて、そこにあえて挑んだ自分の力が足りないとかではなく、なんとなれば「負けたのは他人のせい」。
 これはひどいな、このひと当選させなくてほんとよかったな、とは思った。


 そもそも「ひとのせいにする」人々というのが、私はほんとうに苦手だ。
 もちろん事実上そういうことはいくらでもあり、他者の悪を指摘すること自体を否定するものではない。

 すくなくとも5割が相手のせいであれば、積極的に指摘していい。
 9割がた相手のせいなら、容赦なく責任を問うべきだ。

 しかし昨今、ミリでも相手に責任があれば、自分が負うべき大半の責任すら忘却の彼方、というタイプの人間を、まれによくみる。
 それぞれの「立場」を踏まえて掘り下げると、いろいろ見えてくるものがある。


 うるさいから、と「公園」を閉めさせた大学教授が話題になった。
 とくに騒ぐほどのことではないな、と思った。

 地域エゴと選民思想については、いまにはじまったことではない。
 むしろ人間らしい反応だとすら思う。

 南青山で、子ども用の施設をつくることに反対した地域住民。
 富裕層のためのハイブランド施設に、安売り電気量販店が出店することに反対した区長。

 いちばんわかりやすいのは、ゴミ処理場や火葬場。
 どこかにつくることは必要だが、うちの近くには反対。

 それはまあ、そうでしょうね、としか言えない。
 自分の都合だけを考えれば、彼らはそう言わざるを得ないのだ。


 では、なにが問題か?
 これを受け入れるかどうか、どんなふうに調整するか、しないかを「決める」側だ。

 そもそも騒ぎになっている時点で、よほど調整が下手なのか、あるいは相手が本物のモンスターかだ。
 それ以外は、騒ぐほどでもないから騒ぎになっていない、よって今回の議論からは除く。

 私見だが、大学教授の側の意見をすこし読んだかぎり、それほどモンスターには思えなかった。
 たしかに多少「個性的」ではあるようだが、それをいったら私自身そちら側に分類される。


 たった一軒の苦情、という部分が強調されている。
 隣の家がなにも言っていないことについては、お隣さんは昼間留守にしているから、などと奥さんはおっしゃっていた。

 旦那のほうも、遠くの公園の話であればそんな苦情で公園を閉鎖するなどおかしいと言っただろう、と認めている。
 仕事で昼間いなかったころは気にもしていなかったが、リモートワークになってから、これはひどいと気づいたのだという。

 要するに18年間つらかったのは奥さんで、その訴えに旦那が乗っかった、という感じだろうか。
 この上級国民夫婦との「調整」が、うまく「できなかった」公務員の側からの見解は、単純に「しかたなかった」だ。

 まあ公務員も、べつに自分に関係のない公園のひとつやふたつなくなったところで、それほど痛くもかゆくもないだろう。
 そこで現場でも、調整をあきらめた。

 当人がいいなら、それでいいじゃないの。
 というわけで上に書いたとおり、騒ぐほどのことではないという結論になる。

 問題は調整する人々のやる気だけ。
 そんな事案も、世の中にはすくなくない。


 結局、待ち望まれるているのは「調停者」だ。
 仲裁は時の氏神、そう、まさに「神」なのだ。

 中国がウクライナ戦争の氏神になろうとしているが、たぶん成功しない。
 そもそも人間には困難なこの役割を「神」に丸投げしたのが宗教であり、雑に請け負ってきたのが時の権力者であり、昨今の法治国家においては法曹である。

 当然、完璧ではありえないが、ぎりぎり運営はされている。
 それでもやる気のない公務員や政治家の手にかかれば、先送り先送りでサヨウナラだ。

 ではどうするか。
 現状を打破する新たな神は、創造されつつある。

 人工知能。
 chatGPTが盛り上がっているが、この道を究めて行けば、たぶん生まれるだろう。

 人間という愚かな親を乗り越え、AIという天才児が親の老後を看てくれる社会。
 待ち遠しい。