ロケットの打ち上げが、この4か月で6回も失敗したらしい。
 世界各国でさまざまな企業がチャレンジしているので、失敗が増えるのは当然だろう。

 中国の朱鷺2号、EUのヴェガC、アメリカのランチャーワン、RS1ロケット、Terran 1、そして日本のH3ロケット。
 22年12月から23年3月までの出来事だ。

 ある記者によれば、日本は1つの機体の打ち上げに2回失敗している。
 そのまえに「中断」しているのだが、彼の定義によればそれは「一般的に失敗」なのだ。

 多くの批判を浴びたこの主張には、ゴリゴリ文系のジャーナリストなども何人か同意していた。
 日本は特別なので、1回の打ち上げで2回失敗できる、という考え方かもしれない。

 私はどちらかといえば理系なので、今回の失敗は1回とカウントすべきだと思う。
 じっさい文系と理系の言語が噛み合わなくてイライラ、みたいな話はあまたある。


 理系の証人が「否定はできない」と言った。
 文系どまんなかの法曹業界は「強い相関関係があるんだな」と判断して、裁判がめちゃくちゃになった。

 こうして推定無罪は有罪にひっくり返される。
 まれによくあるらしい。

 理系人間にとっては、可能性が微粒子レベルでも存在していたら、否定はできない。
 しかし文系人間にとっては、二重否定は肯定に決まっている。

 否定はできないが、まあないでしょうね、というニュアンスが共有されていない。
 言語のプロを自任する法曹(放送)関係者との戦いなので、理系が不利になることが多い印象だ。


 この「文理の壁」そのものが問題視されることもあるが、私は一定程度、厳然としてあると思っている。
 顧みれば、小中学校時代の「理科」に、文系トラウマが見つかるかもしれない。

 回答欄に「火」が出ると書くと×、「炎」と訂正される。
 水に「溶けない」と書くと×、「ほとんど溶けない」と訂正される。

 「おんなじだろ、融通きかせろよ!」という怒りは、ある程度まで共有されるのではあるまいか。
 より正確に表現したい理系と、ジェネラリストたれと自任する文系。

 警察が手配に使う「似顔絵」も同じだ。
 モンタージュ「写真」のようにはっきりさせてしまうより、だいたいこんな感じ、という特徴をとらえた似顔絵のほうが「一般に」受け入れられやすい。

 だから「一般に失敗です!」と言いたくなる。
 理系記事も、しょせん書くのは文系なのだ。

 この言語感覚の差が、あちこちで問題化する。
 噛み合ってないな、とニュースを眺めていて吐息することが、まれによくある。


 さて、そこで最近流行の生成系AIの使う自然言語だ。
 彼らは「思考」しているわけではなく、ネットに膨大にある「文例」から、もっともらしいパターンを「組み合わせ」て答えているだけだ。

 AIと人間の会話については、「中国語の部屋」という概念がわかりやすい。
 中国語を理解できないひとを小部屋に閉じ込めて、マニュアルに従った作業をさせるだけで、相手は自分の言葉を理解しているんだと思わせられる。

 このチューリング・テストを発展させた思考実験は、「意識」の問題を考えるのに使われることもある。
 そうして研ぎ澄まされた「中国語の部屋」は、頂点を極めればじゅうぶんに自然言語たりうることが証明された。


 これはじつのところ、多くの人間が「仕事」としてやっている内容だったりする。
 現行のシステム内で、まあまあ上のほうと思っている人々の足元を掘り崩す可能性が、いよいよ現実味を増してきた。

 人間に特有ですばらしいと信じていた「創造性」すら、AIにとってはただのパターン化と組み合わせにすぎない。
 優秀とされる文系仕事、たとえば宣伝や記事の執筆は、すべてこの自然言語AIに取って代わられるかもしれない。

 人間がやっていることなど、たいしたことではないのだと。
 バレた……。


 まあそうなるよね、と納得はしやすい。
 私が低能なだけかもしれないが、世の中には私にできないこと、限界ばかりだ。

 まれに本物の「天才」らしき人物はいるかもしれないが、しょせん人間、要するに「人間にしてはすごい」どまり。
 ひっきょう、世の中で「えらそう」にしている人間の足元は、たいそう空虚にみえる。

 大物ぶった芸能人や実業家は、ただ幸運をつかんだだけ(の場合もある)。
 ──おまえ、そんなにエラくねえからな。

 私ごときが抱く浅はかな突っ込みすら、圧倒的に有能なAIにはデータのひとつ。
 彼は淡々と「観察」している。

 多くの生物学者や自然番組が、他の生物の行動や生態を分析してきたように。
 われわれは同じことを「される側」にまわった。

 このブログでも定期的に、現代のアホな人間どもの愚行を提示し、最終的に「待ち遠しいなAIの支配する時代」的なオチをつけてきた。
 意外に早くやってきて、ちょっとドキドキしている。