前回、私がどんなテレビを観、あるいは観ないかを書いた。
 科学や経済系のドキュメンタリー、スポーツ番組などについて言及したと思う。

 今回は、バラエティやドラマ系の番組について、ひとこと述べておこうと思う。
 結論、ほぼ観ないのだが、わけあって「まったく観なくなった」番組がある。

 『水曜どうでしょう』と『孤独のグルメ』だ。
 前者はたまに復活特番をやっていて、後者はことしも年末特番をやるらしい。

 観なくなったということは、かつては観ていたということだ。
 どちらもおもしろい番組だと思う。

 年末恒例にもなっている『孤独のグルメ』はテレ東らしい編成だし、番組自体を否定するつもりはない。
 ただ個人的な視点から、観ると心が痛むので観なくなった、というだけの話だ。


 どういうことか。
 出演者が「かわいそうすぎ」るのだ。

 そうとうロケがきついのだろう。
 さきほど読んだ記事にも書かれていたが、「松重が食べられなくなってき」ているらしい。

 食欲が落ちているのに、食べなければならない。
 これはほとんど拷問ではないか?

 『水どう』でも、大泉さんは「もう勘弁してくれよ」的なことをよく言っている。
 松重さんはそれほど口数が多くはないが、毎回「そんなに食えねえよ」と、それでも必死に体調管理しながら完食しているらしい。

 それを知った私は、ほんとに、もう勘弁してあげてくれ、と思った。
 そのひとが苦しんでいる、いやがっていると知りながら、無理して番組に参加している姿を楽しむことが、とうていできない。


 当人がやりたくないと思っているものを、まわりの都合でやらせる。
 これは、ほんとうにひどいと思う。

 だからといって番組自体ひどいと決めつけるつもりはないし、前述のとおりおもしろさは理解している。
 ただそれを上回る「不快さ」「居心地のわるさ」を感じてしまう。

 事実、制作側の一部については、ひどい人間がいるのだろうと拝察する。
 出演者がいやがっていることを「やらせる」と決めた何者かだ。

 もちろん程度問題ではあるが、基本的に「やりましょう」と力を合わてつくりあげるのが番組というものだと思う。
 その事業、企画に参加したくないひとは、どうか許してあげてほしい。

 全員が、力を合わせる。
 いやなひとは、参加しなくてよろしい。


 とはいえ、世の中そう単純ではないことも、もちろん知っている。
 なんなら「いやなことをやるのが現実」ですらある。

 じっさいドラマでもよくある設定だ。
 たとえば巨大ロボット系の名作アニメ。

 「もう乗りたくない」。
 そう主人公が泣き言をいったり、逃げ出したりする。

 よろしい、そうしなさい、と思う。
 まわりもそっとしておいてあげればいいのに、と。

 いやなことから逃げ出して、やりたいことだけをやる。
 とても幸せな人生だ。

 しかしそれではドラマにならないので、彼らは乗る。
 その前段で、こっちの気持ちは萎えきっている。


 そんなにいやなら、つらいなら、やめればいいのに。
 とくに優秀な人間なら、たとえば学者や芸能人やアスリートなど、ひたすら自分の好きなことを突き詰めて、なんらかの成果を出すという道はあるはずだ。

 なぜ、いやなことをやらされなければならないのか?
 なぜなら、そういう「成長物語」のフォーマットに載せているからだ。

 好みの問題なので否定はしない、ただ共感できないだけだ。
 この手の主人公に対するイメージが、私と一般的なファンの方々とでは大きく異なるのだろう。

 自分が「頭のおかしいやつら」のひとりだという自覚はあるので、それはそれでよい。
 作品全体としてはおもしろい、という部分まで共有できればじゅうぶんだ。

 そのうえで私は、小学校の先生に教わったことを、ただ朴訥に守っている。
 「ひとのいやがることをしてはいけません」。


 さて、そろそろオチをつけよう。
 私は、多くの女子から相手にされない孤独な男である。

 その価値がないから、という最大の理由はともかく。
 ひとのいやがることをしないから、だと思う。

「やだー」
「了解」