ある飲み屋の店主が、事務所で作業をしていて、倒れた。
真夜中、店にはだれもいない。
彼は携帯を取り出し、119番した。
住所と氏名、裏の事務所の鍵が開いていること、サイレンは鳴らさないでほしいと伝えて意識を失った。
十数分後、静かにやってきた救急車は、事務所で倒れている男を収容して病院へ。
搬送先にて死亡が確認された彼の手には、あとのことがいろいろ「わかるよう」に書かれたメモがあった。
事件性のないことが確認され、手続き関係は速やかに執り行われた。
こうしてひとりの男が、きれいに死んだ──。
という夢をみた。
なかなかリアルで、目覚めて数時間よくおぼえていたので、こうして文章にしてみた次第だ。
夢なので詳しい説明はないが、自殺ではなく病気で、だいたい死期を悟っていたというイメージだ。
どこかで読んだ本か、映画のエピソードかもしれない。
そうではないとしたら、文字どおり「夢」なのだと思う。
彼の死に方は、私にとって理想なのだ。
最後まで自分の店でやりたいことをやり、死ぬと理解した瞬間、跡を濁さない。
最期まで好きなように生きて、きれいに死んだ。
このような生と死は、宇宙の秩序にさえ寄与するのではないか。
理想的なエントロピーの回収は、宇宙の終わり(熱的死)を先延ばすからだ。
私でいえば、職場は自宅のパソコンまえだ。
7月決算なので、現在いろいろ書類を整えている。
もし、あと何分かで死ぬとわかったら、この夢の店主と同じことをしたい。
と、最近どうも、自分が死ぬイメージを想起するタイミングが増えてきた。
もちろん私などいてもいなくても、会社も社会もまわる。
ただ、ごく近い周囲にだけは、ちょっとだけ迷惑をかけることになると思うので、その量を最小化したい。
自殺願望が強いわけではない。
死にたいのではなく、消え去りたいだけなのだ。
私は定期的に脳がイカレる。
このブログにも、ときどき書いている。
いわゆる「おばあちゃん子」で、昨年の暮れごろ、祖母が死んだ。
ことしは初盆ということになる。
祖母にはかわいがってもらったので、悲しませるようなことはしたくない。
たぶん私が先に死んだら、そうとう悲しむだろうな、というくらいの予測はついた。
なので祖母が生きているうちは死なないように努力していたが、その理由がなくなった。
お盆のタイミングが関係あるかはわからないが、いやな「波」がやってきていた。
くりかえすが、自殺願望や希死念慮が強いわけではない。
ただ静かに消え去りたいという思いは通奏低音のようにあるので、似たような感じで突然、社会から消える人々の気持ちは、ある程度わかる(かもしれない)。
私の場合、脳がイカレるタイミングに合わせて、危険度が高まる。
今回はちょっといい「夢」もついてきた。
最近増えているらしいが、私もスマホで睡眠記録をつけはじめた。
当初は変態的な寝起きだったが、最近は、夜寝て朝起きる、という理想的なサイクルがつづいている。
それが突然、破壊された。
真夜中の二時だった、唐突に目が覚めたのは。
冒頭のような夢をみた自分、という見当識を再確認する。
明晰夢っぽいところもあって、かなりの連続性を意識していた。
イカレる脳が叫んでいる。
やばいなあ、と思いながら冷蔵庫にむかい、凍らせてあったベッドボトルを手に布団へもどった。
折に触れて書いているが、脳がパニクりはじめたら、放置しておくとまずい。
奇矯な行動に走るリスクが高まるし、なにより「つらい」。
30代のころからときどきはじまって、徐々に頻度が増えてきた。
最近ではもう慣れた感じになっていて、ようやく「対策」もできてきた。
あくまでも私の場合なので、ふつうは病院に行ったほうがいいと思う。
とにかく「脳を冷やす」ことが、私にとっては肝要だ。
首元、わきの下、額に凍ったペットボトルを当て、おとなしくする。
一気に血液が冷えて、脳が生命の危険を誤解するレベルにもっていく。
死因として、凍死はもっとも楽な方法だ。
だから暴れるな、脳。
そういう意図を察したのかどうか、しばらくすると脳の暴走がおさまっていく。
最近はこの方法で、とにかく奇矯な行動からは逃れることができている。
より症状の深刻な方々は、こんなことではどうしようもないと思うので、べつにオススメはしない。
私の場合、前駆症状が起こった瞬間、できるだけ早く「冷やす」と予後はいい。
引きこもりであることも、大事だと思う。
外で仕事をしていたら、急に冷やすというわけにいかないことも多いだろうからだ。
その点、それがしやすい環境にいる私は、みずから「生きることを選んでいる」わけで、当然だがまだ死ぬつもりはない。
祖母のおかげで理由は減ったが、まだやりたいことはいくつかある。
できるだけ片づけてから、きれいに死にたい。
それが、いまの私の望みだ。