私は人生の記録として、このブログを書いている。
 だれに読んでもらおうとか、自己顕示欲とかではない。

 たぶん将来、網羅的に過去の人類を学習し、評価する人工知能が登場するだろう。
 彼(?)の学習素材として、このような記録があってもいいのではないか、という考えもある。

 物語としておもしろいとか、興味深いエピソードがあればそれに越したことはないが、断片的な事実という程度でも無価値ではないだろう。
 一種の脳トレ、備忘録としても意味はある。

 とくに「入院」という環境は、私にとって「ネタの宝庫」という印象が強い。
 日常では味わえない経験は、多様な発想の役にも立つ。

 というわけで、記録しておく価値があるかどうかは、後世の判断にゆだねたい。
 個人的には、それなりにいい思い出だ。


 多くのひとが、できれば無縁でいたいはずの場所、病院。
 記憶のない出産時を除けば、私がはじめて入院したのは、小学生のときだった。

 交通事故。
 ぐるっとまわって頭からアスファルトに落ちた(らしい)。

 よく覚えていない。
 それ以来、バカになったのかもしれない。

 断片的な記憶のなかで、注射針がやけにゴツかったな、という印象がなぜか真っ先に思い浮かぶ。
 私は趣味で何度も献血をしているが、それと比較しても、当時の注射針は、いやがらせかというくらいぶっとかった。

 小学生の身体にとって比較的大きかっただけ、というばかりではないと思う。
 そもそも注射針が使い捨てになったのは、1988年以降だ。

 逆に言えばそれ以前は、何度も使いまわされる必然から、それなりの強度が期待できるゴツさだったのだろう。
 B型肝炎が理由らしいが、採血針を使いまわして感染、というニュースは最近でもたまに聞く。

 ともかく昭和末期、頭からだらだら血を流している小学生の腕に注射針をぶっ刺し、めいっぱい採血されたのはいい思い出だ。
 もちろん検査に必要だったのだろうが、血を失っているひとからさらに血を抜こうとすることの理不尽、という印象が残っている。


 その後、20年ほどは病院から遠ざかって過ごした。
 で、ある日、骨折で入院した。

 高所落下による着地時、手首を粉砕骨折した。
 遠位端の骨が粉々だったので、破片を集めて金属プレートを入れて修復した。

 このときの記憶は、だいぶ鮮明だ。
 肩から先の局所麻酔(腕神経叢ブロック)だったおかげで、手術室内の広さから器具、会話まで、けっこうよくおぼえている。

 腕に、さくりとメスがはいる。
 もちろん痛みなどは感じないが、作業してる感は伝わってくる。

 きれいな筋肉してますね、と医師からは評判だった。
 ありがとうございます、と答えておいた。

 皮膚を開き、直接、前腕屈筋群と伸筋群を観察してもらった評価なので、お世辞ではないと信じておこう。
 当時、10トン手積みしていたころなので、けっこうな細マッチョだった。

 輸送という目的のために「使う筋肉」であることが、一応の自慢だ。
 はたらく筋肉というのは、つねに美しい。

 見せるための筋肉、というものを否定するわけではないのだが、やはり筋肉には意味があるべきだと思う。
 その競技に必要な筋肉だけが不格好なくらいに発達しているアスリートも、使うための筋肉という時点で美しい。

 一方、絵の具と油を塗ってテカらせているボディビルダーの筋肉からは、なんとなく目をそむけてしまう。
 カリカリにチューニングしすぎて餓死した伝説のボディビルダーも、それはそれでもちろんすごいとは思うのだが、やはり「見た目重視」という人間性そのものに同意がむずかしい。

 見た目なんか、どうでもいい。
 なにをやるか、なにができるか、その中身こそが重要だと思っている。


 さて、というわけで当時、それなりのケガでしばらく仕事もできなかったが、独り暮らしなので家事などはふつうにやっていた。
 とくに洗濯物を干すときの記憶が、ちょっとしたトラウマだ。

 右手が肩から上に挙がらないので、左手だけだと無駄に時間がかかる。
 洗濯ばさみを開く、という作業と、洗濯物を所定の位置に持ち上げる、という作業を片手でやらなければならないが……できない。

 日常の小さな作業も、両手が使える前提であることは多いんだな、と気づいた。
 そこで痛みに耐えつつ無理やり右手も持ち上げ、斜めになりながら必死こいて干したことが、なぜトラウマなのか。

 まず、床の上でまとめて洗濯ばさみにはさんでから、左手で持ち上げて物干しざおにひっかければ済む話だったんじゃねえの、と自分の発想力の貧困に愕然とした。
 高いところに吊られたピンチハンガーは、所与の条件ではない。

 やわらか頭の小学生だったら、発想の転換はできたのかもしれない。
 逆に、中学生並の知能に発達してしまっていたことが、件のトラウマ行動をもたらしたようだと気づく。

 苦痛に耐えて家事してる自分カッケエ!
 そんなふうに思うために、無理して家事をしていたのではないか、という可能性。

 当時を思い出すたびに、赤面する。
 いやはや、恥ずかしいかぎりだ。


 さて、最後に入院中のおもしろ記憶を、すこしだけ列挙して終わろう。
 周囲から聞こえてくる、他の患者さんたちの「会話」が、意外に印象深い。

 あまりいい趣味ではないと思うが、要するに盗み聞きの記憶だ。
 こちらから聞きに行ったわけではなく、単に聞こえてきたことを書き留めただけなので、犯罪ではないと思う。

 とくに大部屋に集う人々の会話は、いろんな意味で好きだった。
 彼らはそれぞれの人生を背負って、その病室に集まっている。

 娘がヤクザ者に引っかかって、自宅がなんかの公共事業の用地になって転がり込んできた大金を、示談金とかの名目で何千万も巻き上げられたという、おっさんの話とか。
 夜間の無断外出の帰り、なんかヤバそうな薬の取引現場を見かけて、そこに病棟の看護師がいた、いや気のせいでしょと冗談にまぎらしていた若者の話とか。

 見えない息子さんや宇宙人さんと会話してる婆さんとか。
 だれかきてくれえ、といつも助けを呼んでいる爺さんとか。

 いろいろあるなかで、たまたま隣のベッドにいた老夫婦の会話が、ちょっと笑えた。
 昭和五年の生まれらしいから、たいそう先輩だ。

「問診票に書くんだよ。生年月日と、身長と体重と」
「え、なに?」

「身長! おまえの」
「ああ、あたしはね、ええと、ひゃくななじゅう……」

「身長だよ!」
「ひゃくななじゅうよんくらいだったかね」

「俺が165なんだよ! ばあさん!」
「ああ、じゃあ、だいぶ縮んだね。あたしも年だからね」

 ……どうやら、ばあさんの身長は147らしいな、と察しながら、笑いを噛み殺すのに苦労した。
 幸せそうな老夫婦だと思った。


 病院には、じつにおもしろい人々が多い、ような気がする。
 冷静に見直すとたいした話ではないのかもしれないが、自分が弱っている状況なので、日常の小さなことにも感受性が高くなっている、という見方もできるかもしれない。

 バイトテロのロジックに似ているだろうか。
 家で冷蔵庫にはいってもちっともおもしろくないが、バイト先でやるとめっちゃ楽しい、みたいな……いや、ちがうか。

 最終的には、やはり病院などに行かず、健康に人生を終えられるに越したことはない。
 と、脳のわるい私としては、比較的マシな結論で本シリーズを終えよう。