映画でも小説でも、視点というのはとても重要だ。
 作り手、受け手、いずれにとっても最重要な要素のひとつといっていい。

 映画なら、固定撮影か、移動撮影か。
 小説なら、一人称か、三人称か。

 かなりおおまかなくくりだが、基本中の基本だ。
 まずは私の専門である、小説の視点について語ってみよう。

 一人称はわかりやすいが、三人称にはいくつか種類がある。
 単視点、多視点、神視点などで、私は単視点をよく使う。

 一般に、小説は三人称単視点で書かれたものが多い。
 これは、一人称と三人称の「いいとこどり」をしたような手法だ。

 一人称のように、地の文で主人公の気持ちを書ける。
 ただし、他人の気持ちについては書けず、そう思っているのだろう、というような忖度した書き方になる。

 登場人物全員の気持ちを自由に書けるのが多視点や神視点だが、これはとっ散らかる恐れがあるし、よほどの筆力がないと描き切れない。
 すべてを書ける反面、視点が分散するため感情移入を妨げる恐れもある。

 単視点だと、主人公が認識したものはもちろん、彼の存在する場所にあるものや事象について俯瞰した解説も、すべて書いていい。
 ただし主人公に見ることができない他の場所の出来事については(それを知りうる手段についての言及がないかぎり)書けない。

 こうしてみると、意外に制限が多いように思われる。
 が、制限自体が観客の感情移入を促進するところもある。

 主人公に近い視点でありながら、すこし離れた客観的な立場。
 まさに、観客そのものの視点、それが三人称単視点だ。


 さて、つぎに映画の視点。
 映画については門外漢なので、専門的な話はできない。

 視点の問題というよりは、もっぱらカメラワークの話になるが、さまざまな技法があるようだ。
 いずれにしろ、視聴者や読者に物語をどう伝えるかの手法の問題である。

 そのために固定撮影がよければそうするし、移動したほうがよければそうするだろう。
 複雑で多様な撮り方のできる時代なので、より自由な発想力の問われる職業、それが映画監督だ。

 そのうち、私があまり同意できない撮影手法については、以前にも書いている。
 二行でまとめると、以下の撮り方だ。

 固定撮影については、よく意味のわからない(監督は芸術家なので理解できないとしたらおまえがわるいという感じの)長回し。
 移動撮影については、あまり必然性の感じられない(素人でも手振れの少ない見やすい動画を撮れる時代にもかかわらず)ブレブレの手持ちカメラ。

 それ以外については、監督のセンスをすなおに受け入れることにしている。
 おもしろい映画を撮れる監督は、ほんとうに尊敬している。


 さて、小説は作り手の視点、映画は観る側の視点を、なんとなく分析してみた。
 最後に、観る側の視点を、同じ観る側から分析してみよう。

 言うまでもなく「どういう見方をするか」は、視聴者、読者がそれぞれ決めればいい。
 その作品について、自分はどう感じたか表現するのも自由だ。

 小説や映画については、たくさんの「レビュワー」がいる。
 彼らの感想がどのくらい同意できるものか、すこし考えたい。

 たまたま読んだレビューで、気になる表現があった。
 もっぱら、いわゆる「クソ邦題」の問題だ。

 あまり汚い言葉で罵りたくはないのだが、邦題に対する憎悪表現は半ば一般化しているので、ご容赦いただきたい。
 なんでそんなアホな邦題つけたんだよ、というような突っ込みは、ほとんど枕詞のように使われている。

 もちろん、うまいことつけている邦題もあるので、必ずしも批判はしない。
 ただ、クソ邦題が多いのも事実であり、むしろ突っ込まれるために「わざと」しているんじゃないかな、とすら穿ってみている。

 そういう心のゆがんだひとがタイトルをつけることも、まれにはあるかもしれない。
 が、基本的にはバイヤーも努力している(はずだ)。

 その努力を、やけに否定したがるひとが、むしろ気になった。
 映画にかぎらず、社会的一般にもよく見られる思考法だったので、言及に値する。


 そのレビュワーは、要するに、人種問題とかフェミニズムを絡めた、センシティブな視点に立っていた。
 ポリティカリーコレクトとしては、人類みな平等、男女の公平を標榜したいのだろう、という部分は理解する。

 作品自体については、まあまあ褒めているし、私も同意する。
 ただ、「夜空に恋した」というサブタイトルについて、ひたすら絡んでいくスタイルが、ちょっと気になった。

 作品自体はフェミニズム全開で、女の子が女の子らしくすることを評価されるような集団において、宇宙を目指す女子がいてもいいじゃないか、という感じ。
 もちろん、まったくいいと思うし、夜空に恋してるんだな、と私にも思えた。

 が、そう思わないレビュワーの噛みつき方が、どこぞのめんどくさい女教授の姿をほうふつさせた。
 ある種のフェミニストにとっては、夜空に「恋」するという表現が、そもそも気に入らないらしいのだ。

 「女=恋」という固定観念がどうのこうの、この作品に恋愛要素は皆無だのなんだの。
 いや、ちゃんと「夜空に」恋した、って書いてあるじゃないの。

 ある意味、すべての天文学者が夜空に恋してるんじゃないの?
 とある博士なんて、数式とか愛したりするんですよ。

 フェミニズムとか人種問題とか、狂信者じみた至上命題を背負った人々は、ときに、ほんとうに無茶な絡み方をする。
 前半の「夜空」を完無視して、「恋」という字づらだけに絡んでいくスタイルは、その一例といっていいだろう。


 邦題が気に入らない確率は非常に高いので、絡もうと思えばいくらでも絡める。
 そんな無理やり愚痴をこぼさなくても、と感じた。

 ともかく邦題がダメ、というバイアスのかかった視点で見ると、こうなりがちだ。
 ほかにろくでもない作品は、いくらでもあるはずだ。

 どんな作品でも、ともかく腐したいという罵詈雑言勢力は、それなりに実在する。
 ストレス解消には有用なのかもしれない。

 最後に一応、言っておくと、べつにそういう見方をしてもいいし、それを表現すること自体もまったく自由だ。
 私の場合、できるだけ個別具体的、是々非々で判断しているので、その旨、記録しておいた。

 もちろん人間なのでバイアスをゼロにはできないが、できるだけ中間を目指すべく、日々学んでいる。
 もって他山の石としたい。