最近、映画ばかり観ている。
 ネタの宝庫である映画から、本日は「うそ」について語りたい。

 映画はフィクションとか、全部えそらごととか、そういう話ではない。
 物語に登場する「うそつき」という人物造形についてだ。

 もちろん、あらゆるマンガやドラマなどの創作に、虚言癖のキャラクターは登場する。
 このうそつきに対する許容範囲が、あまりにも広すぎはしないか、という気がした。

 「もうやらない」「決めたことなの」「気持ちは変わりません」そうおっしゃる方が、あっさりと前言を翻して冒険の旅に飛び出す。
 いや決めたんじゃないの、なんで行くのよ。

 答え、行かないと話にならないから。
 それはそうだが、じゃあ拒絶すんなよ。

 一度やると言った彼女、周囲はその準備に奔走しているというのに、突然やらないと言い出す。
 行かないというから別の手段を模索する人々のところへ、ノコノコやってきて、やっぱりやる、とか。

 もちろん心は揺れる、そういう「気持ちになる」のはあなたの勝手だ。
 が、それを他人に伝えたら、それは他人との「情報共有」になる。

 共有された情報がフェイクだったら、相応の被害と利益が出る。
 被害は、だまされたほう。利益はだいたい、だましたほう。

 ひとをだます人間が、得をしていいのか?
 人類社会が築き上げてきたモラルが、これらの事象からいかなる要請をもたらすか、言うまでもあるまい。

 言ったことはやれ。
 できんことは言うな。

 万古不易のルールにすべきだが、完全に守るのはむずかしい。
 とはいえ、けっして軽んじてはならない。


 さて、映画の話だった。
 考察を進めよう。

 自ら言ったことを簡単に翻す、登場人物たち。
 あまりにも表層的でうわすべりする発言が横行している映画は、だれにむけてつくられているのか?

 要するに青春系ラブコメや昼ドラ映画といったたぐい。
 テキトーなセリフばかりを並べ立てるような人間性でもOK、というルールになじめるかどうかだ。

 私などは、かなり苦手だ。
 悪役ならともかく、主要キャラがテキトーなことを言うたびに感情移入のボルテージが下がり、決めたことを貫かないウソツキ野郎、という印象が回復するまえに物語が終わってしまうことすらある。

 作劇上の瑕疵にも思えるが、この手の虚言はプロット上の適切な起伏、と考える作家のほうが多いらしい。
 あるいは、そういうのが平気な人々、むしろ求めている人々が、世の中にはとても多いということなのだろうか。

 たしかに物語に起伏は生まれるので、私自身この方法を使うことはあるが、内心それなりに苦しんでいる。
 いわゆる恋愛ものを書けないのは、たぶんそのせいだ。

 最初から詐欺師であるというキャラクター提示であれば、もちろん正しい。
 状況が大きく変更されてやらざるをえなくなる、というのもわかる。

 単に当人の気持ちの問題で前言撤回、というのはマジでキモい。
 知らねえよ、おまえの気持ちなんかよ、と思われたら損ではあるまいか。

 もちろん私は共感したいし、やさしくもしたいのだが、やさしくする価値があるかどうかの判定基準として、そのひとの人間性はとても重要だ。
 平気で他人をだます、という自己表現について、よく考えられたい。


 だれにでもやさしくする、というのはむしろ罪悪だ。
 単にお金をばらまくと犯罪者にまで資金を供給することになる、むしろ犯罪者のほうが多くのお金を集めがちである、という社会の実相に似ている。

 資源は、その価値のある人間に集中させたほうがよい。
 で、ほら吹きの価値は、かなり低くていいはずだ。

 人間の価値をお金に換算できるのか、という問題は置くとして。
 その価格を、だれが判定するのか?

 私については私が判定するし、あなたはあなたが判定する。
 残念ながら、それしかない。

 判定や判断にはそれなりにコストがかかるので、他人に決めてもらおうという人々が多いのは理解する。
 だが、あまり他人の価値観に依存すると、世界の不幸を容認しているのと同じことにすらなりうる。

 ともかく、脚本家や監督の価値判断の表明が映画という形式であり、ここには賛否両論がある。
 盗み見ているのでもない限り、絶賛するのも文句を言うのも、自由だ。


 自由ではない場合もある。
 映画泥棒など、違法に映画を観ているようなひとに、文句を言う資格はない。

 もちろん私は合法的に観ているので賞賛も批判も自由だが、政治についてはあまり文句が言えない。
 なぜなら、選挙に行かないからだ。

 政治家がきらいすぎて、一度も選挙に行ったことがない。
 これは、政治で世界を変えたい人々にとって、愚劣きわまる態度だ。

 義務化されている国もあるほど、選挙権は行使すべきものである。
 選挙に行かない時点ですべての権利を放棄しているに等しい、とすら言われてしまうほど、投票の棄権とは愚かな行為だ。

 私は私が選挙権を有している政治について、他人に決めてもらおうとしている。
 その結果が、この始末だ。

 日本の政治がクソだったとしても、私には文句を言う資格がない。
 ゆえに政治については、あまり多くを語らないようにしている。

 「政治」と「政治家」は別の文脈だが。
 マシな政治家がいたら、ぜひ教えていただきたい。


 うそつきにしろ政治家にしろ、最後は人間性の問題だ。
 人間を描く者として、うそつき、それ自体を否定はしない。

 むしろ「悪役」と同じで、物語の展開上、必要不可欠ですらある。
 やられ役、否定されるべき存在として。

 だからこそ、主役にそういうことをやってもらうと、違和感をおぼえる。
 複雑な人間性というものを描くうえでは、有効な手段ではあるのだが。

 ともかく映画は、いろいろと勉強になる。
 暇さえあれば観よう。