けっこう前の話だが、とある映画を観ていた。
不倫映画で、なかなか自由すぎる女が出てきた。
世間的には「悪女」なのかもしれないが、私はすこし気に入っていた。
キャラとして、とても魅力的だったからだ。
ともかく自分がやりたいことをやる。
それがいいことか悪いことかは、あまり考えない。
直情的というか、感情的。
思ったことをそのままやる。
もし自分が彼女と付き合っている立場であれば、そうとうイライラするだろう、とは思った。
が、観ている分には楽しいし、そういう女が好きな男もいるだろう。
で、画面には相も変わらずケンカをしているふたり。
外人はほんとによくケンカをして、しかもすぐ仲直りする、と洋画や海外ドラマをよく観る人なら既視感にうなずかれることと思う。
そんな流れだろうな、と思いながら観ていた。
すると突然、女が思いきり男の顔面をぶん殴った。
なかなか野性的な女だな、と思った直後、男が強烈な掌底を返して女を吹っ飛ばした。
一瞬、唖然とした。
そんなに!?
というほど吹っ飛んだからだ。
一瞬あっけにとられ、すぐにげらげらと笑い転げた。
これはコントにちがいない。
私は、暴力が好きではない。
が、コントで人が転がるところを見たり、強めの裏手を入れているシーンを見れば、これは笑うところだなと判断して笑う。
で、激しく吹っ飛ばされた女のシーンは、ほぼコントだった。
そういうことだろうと判断して、笑った。
……という話を知り合いの女としたところ、彼女は言った。
あなたは差別主義者で男尊女卑で暴力的な人間だと。
どうやら、女が殴られて吹っ飛ばされたのを見て笑う、という私の態度が激しくお気に召さなかったようだ。
だが待てと。
私が笑ったのは、明らかにコント的な「飛びすぎだろ」という部分だったし、それを取り除いたとしても、にやりと笑うシーンだったと判断している。
なぜなら、「先に殴る者が殴り返される」のは「ざまあ」だと思うからだ。
それが男だろうが女だろうが、先に仕掛けたら必ず報いを受けなければならない。
むしろ殴り返されて吹っ飛んだのが男であれば、もっと冷酷に笑ってやったと思う。
大事なことなので何度でも言うが、先に手を出すほうが悪いに決まっているのだ。
そいつは倍返しされなければならない、というのは基本的人権の尊重(?)だ。
レイシスト(人種差別)だのミソジニスト(女性嫌悪)だのバルバロイ(野蛮人)だの、さんざん罵られたような気はするが、おかげでめんどうな女と切れてよかった。
集団チャットでも、二度と彼女と話すことはないだろう。
さて、しかし残念ながら、このような思考回路は危険視されることが多い。
やられたらやり返すのは「野蛮」だという思想体系については、もちろん私も承知している。
復讐法といえば、「目には目を」で知られるハンムラビ法典が有名だ。
この法典でなにより重要なのは、「どこまで復讐していいか」という「限界」を定めている点なのだが、そのあたりについてはあまり言及されない。
すくなくとも私は、慎重に考えた結果として、殴る者は殴られ、だます者はだまされ、殺す者は殺されなければならない、という結論に達している。
それが人生においてきわめて優先順位の高い、「バランスをとる」ことだと思う。
致命的に悲しい現実として、先に殴りつける側を擁護するような人間に、ろくなやつはいない。
なぜそう思うか、理由はいくつかあるが、最大の理由は「自身が先制攻撃をするタイプ」である可能性が高いからだ。
単純な理屈として、先制攻撃者を擁護しておけば、それは自らへの擁護に等しい。
必ずやり返すタイプの私を野蛮人と罵った彼女の言動は、そう考えると非常に理解しやすくなる。
おそらく彼女は、突然に私を殴りつけるつもりなのだ。
だから、やり返されると都合が悪いのだ。
殴り返してはいけませんよ!
なぜなら私は、自分が殴るのはいいけど殴られたくはないからです!
とても筋が通る理屈だ。
よくわかる、けっして同意はしないが。
ちなみに、もうひとつ有力な理由がある。
ご想像どおり、宗教の話にならざるをえないが、その話はとても長くなるので別の機会にしよう。
殴り返されると都合が悪い理屈。
考えるほど、ゾッとする話だ。
サイコパスにとって、遠慮なく先制攻撃できる環境ほど、ウェルカムなものはない。
だいたいの宗教者は、自分だけ儲かればよくて、相手には損をさせておきたい。
そういう一方的な関係を是とする人々の理屈には、常に警戒しておかなければならない。
忌まわしき先制攻撃者に天誅を。
……もちろん例外はいくらでもある。
あくまでも「復讐しないことが例外」でなければならない、ということだ。
暴力的な映画は、いろんな意味で考えさせられる。
戦争映画を観た覚えはないが……。