まったく無作為に連続して映画を観ていて、困ったことが起こった。
たまたま、すべての映画のテーマが「食べ物」だったのだ。
食事をする人々にまつわるエピソードをつなげた映画。
弁当をつくっているシーンからはじまる映画。
登場人物が、みんな、おいしそうに、あるいは淡々と、ものを食べている。
偶然とはいえ、こんなに重なると気持ちが悪くなる。
私は、人間がものを食うところを見るのが、苦手だ。
テレビを見なくなった理由のひとつに、食べ物を扱う番組があまりに多かったから、というのがある。
彼らは、口をもぐもぐしている。
それを見て、私は思う──動物と同じだ、と。
もちろん、まったく議論の余地もなく、人間は動物だ。
しかし彼らは、人間でもある。
生きることと、人間であること。
食事を摂ることと、考える葦。
私が言いたいこと、なんとなくわかっていただけるだろうか?
人間がもっとも動物に近づいている瞬間、それは摂食シーンであると思う。
たとえば植物のように、黙々と栄養を吸い上げて生きることができないだろうか。
モグモグと栄養を咀嚼するのではなく。
私の食事は、かなり殺伐としている。
目のまえにある一種類か二種類の栄養源を、まずは口中に放り込む。
とにかく放り込む。
リスのように頬が膨らむまで、めいっぱい押し込む。
必死にモグモグする、嚥下可能になるまで。
最短時間で、食料を胃に収めるために。
私が、食事の時間というものがあまり好きではない理由が、このあたりにありそうだ。
食わないと死ぬので食うが、その時間を最短にまとめたい。
ブロックとゼリーの栄養補助食品で、生きるために必要な全部の栄養を摂れれば、それに越したことはない、という考え方だ。
サプリメントはあまり好きではないが、筋トレ後のまずいプロテインは欠かさない。
効率。
たぶん、私が求めているのは、それのみだ。
そもそも食べ物がまずいのが原因だろう、という指摘はまちがっていないと思う。
おいしいものを食べたいという欲求が、きわめて低いことも事実だ。
おいしいものとまずいものが並んでいたらおいしいものを食うが、おいしい店に行列ができていたら、その隣にある普通の店で食事を摂ることに躊躇はない。
行列とか、考えるだけでゾッとする。
いったい、食事を楽しむには、どうしたらいいのだろう?
知っている人がいたら、ぜひ教えてほしい。
もちろん、われわれは動物だ、それをやめるわけにはいかない。
しかし同時に、人間でもある。
人間として生きている以上、限りある与えられた時間を、動物でいるよりは、人間にしかできないことをやって過ごしたい。
ものを食べるという行為が動物的であるとは限らない、むしろ美食を楽しむというのは高度に人間的な行為だ、という議論は理解している。
どこかの芸人さんも、残りの人生に残された食事の回数を無駄に消費したくない、できるだけおいしい店で食事をしたいとかなんとか言って、苦労して美食芸人の立ち位置を築き上げていた。
多目的トイレで台無しになったが……。
それはそれで、ありなのだろうと思う。
美食に傾ける人生、肉欲に満ちた人生、三年寝たろうな人生。
いろいろな人生があっていいし、否定はしない。
私が選ぶとすれば、寝る人生かなと思う。
ちなみに私が寝る目的は、脳の機能を最大限に発揮するためだ。
適当に休憩させないと、クリエイティブな労働が難しくなる。
たまに暴走することもある。
かなり取り扱い注意の臓器、それが脳だ。
ともかく、インプットして、なにかを考えて、アウトプットして、また考えて、という行為。
それ以外のことに、時間を使いたくない。
私の場合は文字だが、絵や音楽で表現する人もいるだろう。
肉体を使った表現もあっていいし、なにかを製造する行為も重要だ。
そういう「人間」の価値が、適切に評価される時代が予想できる。
AIが世界を支配したとき、おのずと明らかになるだろう。
われわれは「データフロー」だ。
AIに学習させられる人間、すなわちシンギュラリティに寄与することこそが、価値を持つ。
人間であるがゆえに可能な思考の痕跡を、ネットワークに刻み込んでおくこと。
それが、たぶん人類の最後の役割だと私は考えている。
だから私は書きつづける。
死なない程度に食いながら。