『ビバリーヒルズ高校白書』という海外ドラマが昔(1990~)流行った。

 2019年、そのリブート的な番組が作られたらしい。

 

 『ビバリーヒルズ再会白書』は、オリジナルキャストの「その後」を描くまっとうな続編のようにも思われるが、それぞれがキャラクターではなく当人として出演している、という新しい発想のシリーズだった。

 

 それなりの視聴率を出したものの、シーズン2はキャンセルされたらしい。

 昔の遺産で食うのも限度がある、ということだろう。

 

 30年後のビバヒル。

 けっこうエグい作り方をしているようなので、機会があったら見ていただきたい。

 

 が、私がビバヒルで思い出すのは、それとは関係のないごく個人的な話だ。

 つまらない話だが、よろしければどうぞ。

 

 

 十年以上前の話だが、なんのきっかけか、とある友人の男と飲んでいて、ビバヒルの話になった。

 私は、リアルタイムでは見ていなかったが、数年後の再放送あたりからちゃんと見た、という手合いなので、それなりに話題に乗れる。

 

 例のテーマソング、♪デデデデッデデデデッ、カッカッ、の「カ」のタイミングでグーパンチを振るくらいには、よく見ていた。

 つまり、きらいじゃないのだが、その男は、どうやらビバヒルが心の底からきらいらしかった。

 

 興味がない、というなら話はそれで終わりなのだが、彼がビバヒルに、ほとんど憎悪に近い感情を持っている、という事実にむしろ興味を惹かれた。

 じつは好きなんじゃないの? という裏腹な思いでも抱えているのではないか、と。

 

 たしかに金持ちのイケ好かない高校生たちの、くっついた離れたドラッグでトラブったという、どうでもいい話といえばどうでもいい。

 しかし、よくよく話を聞いてみると、彼がビバヒルをきらっている理由は、どうもその内容ではない。

 

 学生時代、まだNHKがリアルタイムで放送していたころ、ビバヒルにドハマりしていた同級生がいたのだという。

 その「クソデブス」が毎日のように、彼の席の近くで ビバヒルについて語り尽くしていた。

 

 それ以来、大きらいになったのだ、という。

 

 

 なかなか破壊力のある言葉だ、クソデブス。

 たった5文字で、いろんなところを破壊して余りある。

 

 多様な表現で、その女を腐しまくっていた彼だが、なかでも「ビグザム」という表現が私にはツボだった。

 最近の若者はよく知らないと思うので、興味がある方はググってみていただきたい。

 

 たしかにビグザムみたいな女子が後ろの席でマシンガントークしていたら、そうとうストレスはたまるだろうとは思う。

 ともかく、その女子が毎日のように熱烈に語りすぎていて、イライラが頂点に達したらしい。

 

「くだらねえクソ番組だよ、ビバリーなんとか」

 

 彼はそう切り捨てたが、待てと。

 それおまえ、ビバヒルがきらいなんじゃなくて、その女子がきらいなだけじゃないのか。

 

 彼にとっては「同じこと」らしいのだが、どんなにおもしろい話でも、憎んでいる相手から語られると、クソ話に成り下がる可能性はあると思うのだ。

 ためしに訊いてみた。

 

「もしその女子がクソでもデブでもブスでもなく、かわいい女子だったらどうよ?」

 

 彼はしばらく考えてから、言った。

 

「俺にとってのビバヒルとクソデブスは、密接不可分の産廃だ」

 

 残念な話であるが、脳細胞がそのように固着してしまったら、解きほぐすのは難しい。

 秀逸なひとつの海外ドラマが、ひとりの人間の選択肢から葬られるのは残念な話ではあるが、やむをえないだろう。

 

 だれが悪い、というわけでもない、と思う。

 その女子は女子で、ほんとうにビバヒルが好きだったんだろうから。

 

 

 さて、このように意図せずマイナスの効果をもたらしてしまう、というのは、世の中にままあると思う。

 そもそも意図していたとおりの効果をもたらす人々の輪から、われわれが単に外れているだけ、という見方もできる。

 

 そもそもビバヒル好きのその女子は、その男にビバヒルを好きになってもらおうとしていたわけではない。

 ということは、彼女の意識から外れたところで勝手にもたらされた副作用みたいなものであって、そんなものは彼女の知ったことではない。

 

 ドラマでもマンガでもゲームでも、対象年齢やターゲット層というものが存在する。

 その外にいると気付いたら、近寄らないにしくはない。

 

 ドラマや映画といったものは、難しいものだ。

 ひとりひとり、求めているものがちがう。

 

 たとえば私などは、リアルな映画が大好きなのだが、世の中にはそれを「地味」「カタルシスがない」などと感じる人もいる。

 主人公が超人的な戦闘力で、ありえない巨大な敵をなぎ倒す、という展開を期待して見ている方もいるわけだ。

 

 もちろん私は、「ありえない」展開には否定的である。

 

 野生のオオカミは強いもので、一匹倒すのも大変だ。

 地味な作戦や手製の武器で、なんとか撃退する。

 

 合理的な動き、妥当な戦術、多少の犠牲。

 まさに「地味な戦い」だが、私の目には、これがリアルというものか、と楽しく見られる。

 

 しかし世の中には、群がるオオカミどもを、ばったばったと殴り殺していくような、いわゆるマンガの世界を期待して見ている人もいる。

 そういう人にとっては、なんのために映画を見てるんだよ、リアルなんか世の中にあふれてるんだから、映画くらい超現実なカタルシスを見せてくれよ、ということになる。

 

 どちらも、正論だ。

 

 最初から超現実的不条理ギャグ映画だと理解して見るなら、どんなことが起こっても楽しめるし、むしろもっとやれ、と思う。

 だが、リアルを描いている映画で、変なことをしたらダメだと思う。

 

 このへんのバランスが絶妙な映画というのが、名作と呼ばれるのだろう。

 

 

 最後に、たまには映画の紹介でもしておこう。

 名作だと思うホラー映画から、5選。

 

 以下、未見の方には申し訳ないが、簡単にネタバレをする。

 といっても、有名な作品ばかりなので、ネタを知っていても楽しめるだろう。

 

 『シックスセンス』は有名だ。

 以後、良くも悪くも登場人物自身が幽霊、というパターンを形成してしまった。

 

 『ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ』も同様、主人公自身に秘密がある。

 いわゆる「犯人は俺だったのか」系だが、「またかよ」と言いたくなるほど乱造された同系統のなかでは、いいデキだったと思う。

 

 『ウィッカーマン』はだいぶ古い作品だが、少女を助け出そうと奮闘する刑事の物語のように見せかけて、じつは「生贄」に選ばれたのは最初から刑事自身だった、というどんでん返しが、古い宗教の不気味さと相まっていい味を出していた。

 

 『エスター』は個人的に好きな作品だ。

 サイコパスの女というパターンはよくあるが、ホルモン異常で見かけは子ども、という部分が画期的だった。

 

 『ソウ』は連続殺人鬼によって密室に閉じ込められ、ゲームを強要されるというシチュエーションホラー。以後、雨後の筍のように似たような設定の作品群が作られた。

 ゲームの「神」であるジグソウと、共犯者であったアダムの裏切り。聖書的なメタファーが隠されていて、じつに楽しめた。

 

 

 パッと思いつくところで書いたが、ほかにも名作はたくさんある。

 

 私がよく見るのは、ホラー、ミステリー、SF、たまにファンタジーだ。

 苦手なのは恋愛だ。4倍速で見てもつらい。

 

 ホラーはネタバレしても楽しめると思うが、ミステリーは知らないで見たほうがいいかもしれない。

 強制引きこもりのこの機会を、ぜひご活用いただきたい。

 

 とくにSFは、非常に素晴らしい作品が多い。

 いつか紹介したいと思う……。