家のなかで息が白い、などというのは、みなさん日常茶飯事かと思う。

 口内の温度にもよるが、5℃を下回ると、ふつうに息は白くなる。

 

 うちの平均的な室温は5℃を上回っているので、それほど極寒という印象はない。

 寒さを感じるのは外気に直接触れる唇、鼻、指先くらいだ。

 

 屋外の気温は氷点下5℃くらいまで下がるが、室内は密閉しているだけで5℃前後には保たれている。

 TDPの低いPCをはじめ、省エネ家電を揃えてしまったので、あまり排熱を利用できないのは痛いが、通常の炊事やポットでお湯を沸かしているだけでも、それなりに空気を温めてくれる。

 

 現状、室温の最低記録は2.9℃。

 この気温なら暖房は必要ない。

 

 いや、暖房は常に使用している。

 ただ、室内の空気全部を温めないだけだ(「暖房」の定義はともかく)。

 

 電気毛布。

 これがとても使える。

 

 昔から言われる通り、頭寒足熱で、とくに下半身を温める装備を整えることで、極寒の田舎生活もほぼ快適に過ごせている。

 ただ前述の通り、唇や指先は寒い。

 

 指は、第一関節だけ露出するシルクの手袋で、なんとかしのいでいる。

 唇は、ものを言う相手はいないものの、とくに口を開かずとも寒いものは寒い……。

 

 

 

 さて、そんなわけで、唇のお寒い映画を見たので、記録しておこう(無理やり)。

 今回は、口が軽い、という一般的事象の是非を問いたい。

 

 とある海外ドラマに登場した、ヒロイン(的位置づけ)の驚くべき口の軽さに驚いた。

 引っかき回し要員の悪役だろ、と思わず突っ込みそうになったくらいだ。

 

 まだ言えないんだ、と口ごもる男に、どうしても言えと迫る女。

 男はしぶしぶ、質問はなしだよ、と前置いて話す。

 

 直後だ。

 いつ、どうしてなの、どういう経緯で!? 訊かないなんて無理、ねえ教えて!

 

 何秒前だ、質問しないと約束したのは。

 彼女の脳と口は、いったいどうなっているのか?

 

 ……また別のときだ。

 とある少女が、よせばいいのに彼女に相談する。

 

 彼のお母さんにだけは聞かせたくないけど、あなたを信用して話す、友達だから、という前置きでしゃべりだす少女。

 彼女が去った直後、まさにそのお母さんに電話をかけ、洗いざらいぶちまけるヒロイン。

 

 なんなんだろう、この圧倒的な口の軽さは。

 おまえは絶対押すなよと言われたとき全力で押すお笑い要員か! という突っ込みが的確かどうかはわからないが、ここまでの口の軽さは分析対象に値する。

 

 

 だれにも言わないわ約束する、という彼女の「約束」という言葉の意味がわからない。

 これは女の口の軽さどうこうより、話を展開させるためにするストーリーテリングの一助ではないか、と考えざるを得ないくらいだ。

 

 さすがに、重要な情報を彼女に与えるのはまずい、と周囲が気を付けだす。

 すると、情報を得られない自分側の原因を気にも留めず、突如としてキレる。

 

 私は心配しているのよ!

 力になりたいだけなのに、なんでみんな無視するの?

 どうして仲間はずれにするのよ!?

 

 この種の精神状態を、端的に説明する言葉がある。

 認知のゆがみ、だ。

 

 相手にとって都合が悪いことは点のように矮小化して見るが、自分にとって都合が悪いことは大海のように極大化して受け取る。

 事象を映すレンズが「ゆがんで」いるのだ。

 

 責められると、私は悪くない! と言い出す。

 もともと見方がゆがんでいるため、当人はほんとうに悪くないと思っていることが、なにより問題だろう。

 

 あのときキミはこんなことをしただろう、と言われても、そのような「相手の都合」は点のように小さく見ているので、覚えてもいない。

 一方、自分の功績については、なによりも過大評価しているので、周囲がそれにふさわしく評価してくれないと、自分は不当に取り扱われていると思い込む。

 

 たいへん厄介な人物である。

 会社の上司や同僚などがコレだと、平気で手柄を奪われたりするので気を付けなければならない。

 

 

 ここまで病的ではなくとも、この手の「知りたがり」は、どこにでもいる。

 あまり好きになれないタイプだが、残念ながら、全面的に否定もできない。

 

 好奇心は、人類にとって非常に重要だからだ。

 知的好奇心と、ゴシップに対する好奇心は似て非なるものだ、とも思うが……。

 

 ともかく、あらゆる情報を集めたいという気持ちは、わからないでもない。

 相手の弱点を「知りたい」と思うのは、戦略的にきわめて優位である。

 

 相手が話したくない話をどうしても聞き出し、それをネタに自分が優位に立つ。

 女の「知りたがる」理由が、そこにある、とは思いたくないが。

 

 どうして相談してくれないの?

 私には全部話してよ!

 

 と叫ぶ女。

 私にとっては、強烈な違和感しかない。

 

 

 この手の女は、キャラクターとして有用なためか、ほんとうによく出てくる。

 夫婦の絆とか信頼を醸成、表現するのに役立つ、というライターの思惑を感じさせるが、いかがなものか。

 

 そもそも、夫婦のあいだに「秘密」をつくってはいけない、という謎の要求からして同意しかねる。

 育ってきた環境がちがうのだから、どんな秘密だって否めないはずだ。

 

 もちろん秘密の種類にもよるが、たとえば飛び魚のアーチをくぐって宝島に着いたころ、だれかと腰を振っているようなお姫様の秘密くらいは、保たれてよかろうと思われる。

 そこまで許容するのはゆるすぎかもしれないが、感染性などの現在進行形リスクを除いては、あまりベラベラとしゃべる必要はない、というのが私の考えだ。

 

 また、たとえ現在進行形でも、男が女に全部を話さないのは、話しても解決しない、という究極的な理由がある。

 仕事上の困難を嫁に話したところで、彼女がそれを解決してくれるだろうか?

 

 解決する能力のない女が、話してくれないと言って泣き叫んでいるのを見ると、ほんとうに嫌悪がぬぐえない。

 現実には女に限らないのかもしれないが、私の印象では(すくなくとも映画的なキャラ造形では)明らかに女が多い。

 

 男がそれを知らせないのは、話したところで解決しないという自分の都合もあるが、同時に心配をかけたくないという相手のためでもあり、それによって女がメリットを受ける可能性は一定程度ある。

 一方、それでも言えと要請する女の目的は、ただ知りたいという彼女自身の欲望のみで、あえて心に重荷を背負いたがるタイプの男に、メリットをもたらす可能性は低い。

 

 この手の女にうっかり問題など明かしたら、いずれ、それをネタに「あなただってこんなことも解決できないくらい低能だったじゃないの!」と言い出すに決まっている。

 そんなことは言わないという信頼の問題にすりかえることは可能だが、それだけのために他人のトラウマまで抉り出そうというのは、いくらなんでもやりすぎだろう。

 

 解決の助けとならない限り、他人に弱みを見せてはいけない。

 これは鉄則だ。

 

 

 とにかくすべてを話せ、というような展開は、男には違和感だが、女は喜ぶのだろう、と想定して考えを進めると、いろいろ納得できることが多い。

 その映画自体が、どちらの性にバイアスをかけているか、という分析もありうる。

 

 現実問題、女に向けて作ると、観客動員としても効率が良いらしい。

 映画館に、女は男を連れてくるが、男はひとりで見にくる、という傾向は昔からよく言われている。

 

 どこまで正しいかはともかく、作り手にそういう作り方が染みついている蓋然性はあるだろう。

 たしかに男の見方と女の見方は、相当程度に異なっているようだ。

 

 女が「話す」のは、ただ話したいからであって、とくに「解決」を求めていない。

 しかし男は、どうにかして「解決」したいと思う。

 

 この点だけ把握しておけば、男女がすれちがう原因のいくつかは説明できるだろう。

 もちろん、男に似た女や、女に似た男もいるので、いろいろ例外はあるだろうが。

 

 私は極度に「男」なので、たくさんの映画を観て「女」を学んでいる。

 そしてそれを「書く」ことに生かしている。

 

 「映画的な女」から、現実の女を忖度することはしない。

 現実の女どころか、そもそも人間と話すことが少ないからだ。

 

 もの言わぬ、という寒さ対策の完成である。

 お寒いオチだが、ご勘弁いただきたい。

 

 ──そして、唇の代わりに指先が寒くなったとさ。