私はウィキペディアをよく使うので、ウィキメディア財団には寄付をする。

 といっても、300円、500円、1000円といった程度の額を、たまに送る程度だが。

 

 すくなくとも何千円かで売っている事典辞書類よりは使用頻度が高いので、それ以上の対価は支払うべきだと思っている。

 

 この寄付の要求がうざい、と一時話題になった。

 それは私も感じたし、最近は改善されていると思われる。

 

 で、近年は方向を転換し、一度寄付した層に対して「おもしろメール」を送るようになったようだ。

 

 件名「もう、たくさんです」。

 非営利を貫くために、数々の圧力に屈しなかった。その「圧力」に対して、「もうたくさんです」ということのようだ。

 

 微妙。

 海外では、この文面で寄付が増えたのだろうか?

 

 同時に、14年以来、寄付をしている私に、バッジが4個ほど届いた。どういう意味かはわからない。

 あなたの18年の寄付額はたった1000円ですよ、と言いたいのかもしれない。

 

 しかし、件名で釣る、というやり方は基本的に好きではないので、このときは寄付しなかった。

 次は内容で勝負してもらいたい。

 

 

 さて、このウィキペディアなるオンライン事典、ユーザーが自由に書き込むことができる。

 われわれとしては、お金ばかりではなく知識をも提供することが望ましい。

 

 お金だけ出して労力を提供しない、と言われてトラウマになった国もあるようだ。

 日本人なら、やはりウィキの慣性に一臂の力を課すべきであろう。

 

 と、大上段に構えたいところだが、恥ずかしながら、私はウィキに内容を書き込んだことがない。

 お金は出しても人を出さない日本人は、感謝されないのだ……。

 

 

 ウィキ愛用者失格と言われるなら、その謗りは甘んじて受けよう。

 私は2(5)ちゃんねるにしろウィキペディアにしろ、読むことは読むが、あまり書き込むということをしないのだ。

 

 両者を同列に並べるのもどうかとは思うが、同じオンライン書き込みスペースということで、比較してみよう。

 

 2ちゃんは、俗に「便所の落書き」と言われるほど、フリーダムな掲示板。

 ウィキは、ガセネタも多いが、まあ役に立つ百科事典。

 

 そこに私は、なぜ書き込まないか。

 

 2ちゃんは、自分はここに書き込むほど低劣ではない、と思いたくて。

 ウィキは、自分はここに書き込めるほど卓越していない、という自戒で。

 

 

 もちろん読んではいるわけだから、2ちゃんにすばらしい書き込みがあることは理解しているし、すぐれたまとめサイトを読む分には、ほんとうにはかどる。

 才能の無駄遣い、と言いたくなる場面も往々にしてあったりする。

 

 正直、若いころは書き込んでいた。

 若気の至りだが、なんでも参加してみて、体験することは大事だと思う。

 

 で、「ねらー」はだれでも理解し、認めている通り、あの掲示板には、すばらしい書き込みがある半面、吐き気を催すようなクズも多い。

 しかもこのクズが、書き込む「自分も含めて」という意味なので、あるときから書き込むのが恐ろしくなってきた。

 

 鏡を見る。狂人。

 自分にその影を見出して以来、恐ろしくて書き込めなくなったのだ。

 

 

 一方、高尚なほうのウィキはどうか。

 ここに書き込めるほどの見識も学歴もございやせん、と平身低頭していたころもあったが、さすがに最近はそうでもない。

 

 編集に参加することは、じつはある。

 ただし、内容を書き込んでいるわけではない。

 

 どういうことか。

 私は本をよく読むのだが、その知識を補完するため、しばしば同時並行的にウィキを開いている。

 

 で、ウィキを読んでいるとたまに見かける「要出典」。

 信頼性を高めるため、ある基準を満たした文献を参照可能にしてください、という意味だ。

 

 で、ああそれならここに書いてあるよ、と気づいたときに、編集モードを開いて「参考文献」などを追加してやる。

 

 内容には触れない。

 すでに書かれている内容と出典をつなぐだけだ。

 

 項目を作るとか、画像をつけるとか、自分の意見を宣うとか(独自研究は良くないが)、そういうことはしない(できない)。

 ただ、ちょっとだけ信頼性を高める手助けをしている。

 

 私のネットに対する姿勢は、まあ、こういったところだ。

 

 

 

 寄付の話に戻ろう。

 数年前、こんなことがあった。

 

 寄付した翌日、ジミーからメール。

 きのうは寄付してくれてありがとう、的なやつかなと思って開いたところ。

 

「やあ、去年は寄付をしてくれてありがとう。

 時間はとらせない。今回も頼むよ!」

 

 いや、きのう寄付したやんけ。

 なんで毎日せなあかんねん。

 

 メールを開いてしばらく、頭を悩ませたものだ。

 もちろん、すぐに気づきはした。

 

 単にタイミングの問題だ。

 ちょうど去年の今頃にも寄付したので、今年もお願いしますという機械的なメールだったのだろう。

 

 とはいえ、なんとなく毎日たかられる気がして、げんなりしたことを覚えている。

 それも、いい思い出だ。

 

 ウィキには寄付をしなければならない。

 すくなくとも私は、図書館の次に活用しているメディアなのだから。

 

 知的好奇心こそ、人間の人間たるゆえんである。

 毎日がウィキペディア。

 

 

 で、ほんの数分前。

 ウィキから、「私たちからの最後のメールです」という危機感をあおるようなメールが届いた。

 

 開いてみたところ、2019年にお願いするのはこれで最後です、という意味だった。

 ふつうに「非営利を貫くために」という、ジミーからのシンプルな「心からのお願い」だったので、いつも通り1000円寄付した。

 

 寄付する人の平均は1500円らしいので、私はケチな人間なのだろう。

 まあ、これで来年までは、安心して静かにウィキを参照できるような気がする。

 

 

 

 最後に、農業報告。

 

 裏の畑のキュウリがすごい。

 きのう雨だったので収穫をサボったのだが、おかげできょうは……。

 

 両手に抱えるほどキュウリをとってきたはいいが、どうしよう。

 とりあえず1食はキュウリのみ確定なわけだが、それでは済まぬ。

 

 いや、キュウリはうまい。

 好きなのだが、さすがに多すぎる。

 

 ウィキの「カッパ巻き」の項目を読みながら、思案する。

 そうか、スシローとくら寿司は、かっぱ寿司を連想させるから「きゅうり巻き」と呼ぶのか。ケツの穴の小さい連中だな。

 

 ぱりぽり……。

 がりぼり……。

 

 新鮮なキュウリ、うまい。

 うまいが、飽きた。

 

 なんか皮膚が緑色になってきた気がする。

 ひとつ尻子玉でも抜きに行くとするかい……。