前回、殿さまぷららについて語ったが、モバイル高速回線を複数契約すれば、光なんてなくてもいけんじゃね、という打算が早々に頓挫した。

 

 田舎なので、いつもは電波を使う人間が少なく、ほどよく快適だ。

 これならイケる、と踏んだ自分を責めるつもりはない。

 

 私が失認していたのは、そこそこ観光客の来る田舎でもある事実だ。

 とくに連休中やイベント時は、アホほど人が来る。私も引っ越しの荷物を運ぶために何往復かしたが、田舎には日ごろ縁のない「渋滞」というものに、何度か巻き込まれた。

 

 で、なにが言いたいかというと、スマホを持った観光客がアホほど押し寄せる時期には、モバイル回線が使い物にならない、ということだ。

 理論上何百メガとか、そんな高速は出なくてもいい。2~30も出ていれば実用に支障はないし、いつもは出る。田舎だから。

 

 が、観光客が来る時期は悲惨だ。

 この現象は、もっと大きな組織をもって対応策を講ずべき問題だと思う。

 

 1日のうち、混雑する時間帯に通信を制限することは、どこの会社もやっている。

 問題は、特定の地域・時間で混雑が予想される場合だ。

 

 通信用ドローンを飛ばすとか、そういう弾力的な施策をとってほしい。

 動画どころか、ウェブの閲覧すら重い。一言で言えば、使い物にならぬ。

 

 1Mbps出れば、いいほうだ。

 0.10Mbps、回線は非常に低速です、などとスピードテストに教えてもらうまでもなく、そもそもページが開かないという悲惨な目に遭った。

 

 MVNO(楽天)のせいにすることもできるが、帯域に余裕のあるキャリア回線を作ってリスクをヘッジすると、高くつきすぎる。

 ファイナンシャルプランナーとして言わせてもらえば、保険料の支払いが家計を圧迫するなど、あってはならないことだ。

 

 キャリア回線は、家族がいればともかく、単身だと効率が悪い。

 さらに4割下げてほしいくらいだ。

 

 やはり固定回線は引かざるを得ないのか……。

 殿さまぷららと戦うのも、なかなか骨が折れるな、と思った。

 

 いくら私が、敵に1万円の損失を出させるためなら、2万円のコストを支払っても悔いはないタイプだとしても、相手の被害が軽微すぎる。

 戦略を立て直す必要はあるかもしれない。

 

 観光客が去れば、まわりにはイノシシとサルしかいない。

 楽モバの実力を見せてくれ! と思ったが、あまり期待はできない。

 

 しょせん楽天だ。

 

 

 しかたない、ぷらら使ってやる。

 3年だけ。と、結論した。

 

 その後は絶対に切り替える。

 漫然と5000円を払いつづける家畜だけにはなるまい。

 

 最初の3年にキャッシュバックが設定されているので、そこで切れば、ぷららの利益は最低限になるはずだ。

 もう、そのくらいしか対抗策が見当たらない。

 

 殿さま商売、という傲岸不遜への対抗策。

 客を客とも思っていない、あの態度の悪さには辟易する。

 

 ああまでされれば、悪質なクレーマーになる気持ちもわからんでもない。

 もちろん私は犯罪者ではないので、行き過ぎた行為にまで及ぶことはないが。

 

 世のクレーマーさんは、ほんとうに心が歪んでいるな、とも思う。

 一方、私は心がひどく歪んではいないが、まっすぐでもないと自覚している。

 

 ただ、相手が先にやったことを、倍にして返すだけだ。

 

 

 説明しよう。

 私は、やられたらやり返す、というタイプだ。

 

 だらだらと遅延行為をされたので、こちらもだらだらといやがらせをしてやるのは、正しい行為だと思っている。

 これは思想の問題だ。

 

 やりたくはないのだが、彼らのためにやっている。

 復讐は、自分ではなく、相手のためにやるものだ、と思っている。

 

 

 小学校の先生に教わったと思うが、人のいやがることをしてはいけない。

 しかし、その人が「いやだ」と思うかどうかは、その人自身に訊いてみなければわからない。

 

 たとえば、相手が殴ってきたとする。

 先制攻撃だ。理由はともかく、殴ること自体に付随する可能性は2つある、と考える。

 

 殴るというのは、一般的にはいやなことだが、その相手にとっては、いやではないのかもしれない。

 その場合、殴り返してほしい、という意図で殴っている可能性がある。殴り返してあげるのが親切というものだ。

 

 もうひとつ、恐ろしい話だが、殴ってきた人は、自分が殴られることはいやだ、と考えている可能性もある。

 この場合も、私は涙を呑んで殴り返さなければならない。

 

 もし、彼が「自分は殴っても殴られることはない」などと誤解して、これからの人生を生きていくとしたらどうか?

 周囲にとってはもちろん、彼自身にとっても良いことはない。

 

 そこで、私は彼の人生のために、殴り返してあげる。

 そうすることで、殴ったら殴られるんだよ、ということを教えてあげる。

 

 小学校のときにきちんと教わっていれば、いまさら教えてあげるまでもないことなのだが、彼の人生には、それをきちんと教えてくれる人がいなかったのだろう。

 殴り返されることで、彼が正しい人生に目覚めてくれれば幸いだ。

 

 

 というわけで、いずれの可能性についても、とりあえず殴り返しておくことが正解となる。

 いずれの場合でも、私が喜んで殴り返しているわけではないことは、銘記してもらいたい。

 

 それ以外の選択肢が、あまり良くないので、やむなくやっているのだ。

 殴り返さない、などという選択肢は、まず相手のためにならない。

 

 自身がことなかれ主義者であれば、すこしはメリットもあるかもしれない。

 が、もしそれによって自分自身にストレスがたまるとしたら、デメリットである。

 

 一長一短は、たしかにある。

 が、やはり、とりあえず殴り返しておく、というのが正解だろう。


 人類全員が、厳密なルールでこの考えを徹底することで、世界は平和になる。

 中途半端ではいけない。厳密にやるのだ。

 

 道のりは遠いが、私はこのイバラの道を進もうと思う。

 殴ったら殴られるんだよ、と知ってもらいたい。

 

 

 というわけで、殿さまぷららの話に戻る。

 偉そうな殿さまに、非力な一匹の顧客が、どこまでできるかだ。

 

 不愉快な顧客対応をしたら、顧客からの対応もそれにふさわしくなる。

 こうすることで、彼らが、顧客に理不尽な対応をとってはいけないな、と学習してくれればよい。

 

 私は涙を呑んで、何度も予約日をキャンセルしてやった。

 こちらが入れた予約を、対応する準備期間が長かったにもかかわらず放置し、直前にキャンセルするという行為は、相手が先にやってきたことだからだ。

 

 よって、しかたがない。

 同じことを返す。やりたくはないのだが。

 

 彼らが同じことをされても平気なタイプなら、これからも繰り返すだろうし、されたくなければ、これからはやらないようになってくれるだろう。

 そう願う。

 

 繰り返すが、私は本来、こんなことはしたくないのだ。

 平和が大好きなのに、先に平和を乱されたので、やむなく、その相手が平和を乱したことを後悔し、反省するためにできるすべてのことをやる。

 

 それが、先制攻撃に対してできる、最善の対応だと信じている。

 とにかく「先に」しかけたほうが、悪いに決まっているのだ。

 

 

 このことを、日本は先の大戦で、いやというほど学んだはずだ。

 以下、私がこのような思想に至った顛末をまとめる。

 

 日本には、日本が悪役のように扱われる映画や文学が、けっこうある。

 縷々語ると長くなるので、ここでは事実として認めるのみにとどめる。

 

 日本は悪いことをした。

 なるほど、たしかに、そういう部分もあっただろう。

 

 が、同じことを、もっと大規模にやった国は、裁かれているか?

 否。イギリスもオランダもフランスもアメリカも、彼らが歴史的にどれだけ邪悪なことをしてきたかは明白なのに、日本のようには裁かれていない。

 

 日本が、後追いで、それなりの悪事を働いた点について、否定するつもりはない。

 やったことはやったのだ。

 

 それを裁く戦勝国による復讐裁判が、どのようなロジックで執り行われたか。

 われわれが学ばなければならないのは、その史実だ。

 

 

 当時の先進国は、おおむね、大なり小なり悪事を働いていた。

 いちばんの大悪人がどの国かはあえて書かないが、彼らが世界史においてちょいちょい戦争に勝つおかげで、世界地図は現在進行形でひどく醜いままだ。

 

 そのような大悪人が裁かれず、小悪党が先に裁かれる理屈を、どうにか見つけなければ、心が安定しない。

 どれほど無理くりにでも、理屈をつけなければならない。

 

 そうして、私は発見した。

 日本に裁かれるべき「悪」があるとしたら、先制攻撃をしたことだけだ、と。

 

 ドイツも、先にポーランドに侵攻したから、あのように裁かれた。

 そう考えることで、日本やドイツ「だけ」が裁かれる理屈を、かろうじて見出した。

 

 先制攻撃をした国に対しては、戦時国際法に違反して大都市を爆撃したり、人道に悖る大量破壊兵器を使用しても「正しい」と、国連憲章に書いてある。

 先に仕掛けた側に対しては、どんな手を使って叩いてもいい、と書いてあるのだ。

 

 その一点のみに依拠して、敗戦国だけが裁かれるという不条理が、まかり通った。

 不完全な論理であることは百も承知だが、ぼろぼろの弥縫策であれ、私はこの考えにすがりつくことにした。

 

 先に手を出しては、絶対にいけない。

 よって、イラクに先制攻撃したアメリカが、あらゆる手段で反撃される歴史を、心から待ち望んでいる。

 

 

 そもそもわが国は、忠臣蔵の昔から、仇討は人気のテーマだ。

 吉良が殺されるべきだったかはともかく、殺したら、殺し返されるのは当然なのだ。

 

 いや、知っている、自力救済禁止の原則は。

 仇討ちは国家が代行する、自分でやってはいけない、という近代国家の法理だ。

 

 だが、甘すぎやしまいか?

 

 人を殺したら、自分が死ぬ。

 その原則を守ってくれるならいいが、日本の運用では、2人以上を殺さないと死刑にならない。

 

 平たく言えば、1人を殺した罰は、自分の時間が半殺し、という程度。

 ぬるい。

 

 1人を殺したら、自分は2回殺されるくらいの苦痛を背負って、死ななきゃいけない。

 たったの倍返しだ。昔は、一族郎党皆殺し、という罰すらあった。

 

 私は温厚なので、そこまでは言わない。

 自分の罪は、自分だけが背負えばよい。

 

 2回死ぬほどの苦痛を背負って死んでくれれば、それ以上は言わない。

 ともかく、やらかした分の報いは受けよう。

 

 

 で、戦後、やらかした日本は責任を負わされた。

 日本人が殺したアメリカ人の数と、アメリカ人が殺した日本人の数を比較してみよう。

 

 倍返しどころじゃないが、ともかく、それは「正しい」と国連憲章に書いてある。

 ここで留意すべきは、いわゆる「上位法令の優先」という原則だ。

 

 たとえば、民法よりは憲法。

 国内法よりは国際法が、より広い世界では優先される。

 

 で、国内法では自力救済を禁じているが、国際的な憲章では10万人殺されたら100万人殺し返していい、と書いてある。

 どちらが優先されるかは明らかだ。

 

 アメリカは、日本人に10倍返しをしていい、と言い張った。

 そして、それは正義の復讐だったので、これに対して復讐してはいけない、と決めた。

 

 現実的には、戦後、日本人の牙を引っこ抜くことに汲々とした。

 戦勝国として、できることを全部やったあの国の宣伝工作は、すさまじい。

 

 この私ですら、アメリカの正義とやらを、懸命に探してしまったくらいだ。

 リメンバー・パールハーバー、か?

 

 もちろんそこに至るには理由があって、一言で言ってしまえばアメリカの「投機」が原因だったのだが、世界経済が歪んでいるのは古今東西、万古不易だ。

 最大の利益を得たアメリカが犯人、などと単純に片付けるわけにはいかない。

 

 この件における最大の問題は、次の一点にある。

 すなわち、経済で先制攻撃を受けて、戦争で報いたことだ。

 

 いくら頬を差し出されても、殴ってはいけなかったのだ。

 殴れよ(俺が大儲けするために)と頬を差し出したキリスト者を、まんまと殴ってしまったのが運の尽きだ。

 

 経済には経済を、謀略には謀略を、戦争には戦争を。

 われわれは、あくまで同じ方法で報いなければならなかった。

 

 

 

 という思想によって、つらい人生を歩んできた。

 私が社会人として、まともに生きられなかった理由には、この思想も大きい。

 

 理不尽なことをしてきた相手に対しては、上司だろうが先輩だろうが、ふさわしく対抗してきた。

 当然、協調性を重んじる会社組織に、長くはいられない。

 

 先制攻撃者にダメージを与えるためなら、結果的に自分のダメージが大きくなろうとも、あえてやる。

 いっしょに戦おうぜ、と言った同胞が、私が上司に文句を言った瞬間にそっぽを向いたこともあるが、たとえどんな貧乏くじを引かされようと、私はやるべきことをやるのだ。

 

 ふざけたことをやったら、ふざけたことが返ってくると知るべきだ。

 それがいやなら、ふざけたことをやらなければいい。

 

 というわけで、殿さまぷららに対しても、やりたくはないのだが、報復せざるを得ない。

 何度も言うが、やりたくはないのだ。

 

 

 以下、結論。

 

 自力救済は、ほとんどの場合に優先される。

 これは正しいと信じるに値する結論であり、私は確信犯的に、この姿勢を貫くつもりだ。

 

 ハンムラビ法典を復習しよう。

 きちんとしたルールに基づいて、復讐を定めたバビロンの叡智を。

 

 復讐するは我にあり。

 世界をめちゃめちゃにしながら、膨れ上がったキリスト教圏の言葉だ。

 

 悪人に報復を与えるのは、神である、と。

 どの神かは知らないが。

 

 あなた方に神がいるように、私にも神がいる。

 否定も肯定もいらない、ただそういう思想があるだけ。

 

 世界の平和を祈りつつ。

 この道を、進むのみ。