私は、自分のSNSのアイコンに、ネコを多用している。
たまに変えることもあるが、基本的にネコが多い。
なるほど、あんたはネコ派だね!
と、短絡されるのは困る。
結論から申し上げれば、私はイヌ派だ。
より正確には、イヌにあこがれるネコだ。
あのひと立派な風見鶏、私は小さいニワトリよ、ココッココッコー。
by谷山浩子『恋するニワトリ』
骨っこ食べても犬にはなれず、骨片弾ける胸の中。
by私
イヌとネコ、どちらが優れているか論争が、古来からつづいている。
結論は出ている、と私は考える。
明らかにイヌのほうが優秀だ。
進化的に考えてみよう。
イヌはネコ目イヌ科である。
この系統の肉食獣として、ともかく最初にネコがいた。
そこから、より優秀なイヌへと進化した、というのが順路と考えられる。
より原始的であるネコの脳は、スカスカだ。
たいてい教えても、できない。
イヌは違う。
頭のいいイヌは、四歳児並みの知能を持つと言われる。
人間には不可能なほどの記憶力を持つ、ボーダーコリーもいたりする。
イヌはマラソン選手だ。
獲物を追いかけ、どこまでも走りつづけられる。
イヌは群れを作る。
その集団行動力は、明らかに群を抜いている。
ネコには、そんな芸当は逆立ちしてもできない。
もちろん犬種、猫種によって隔たりはあるだろうし、多少の例外もあるにしろ、ネコはイヌよりも、できないことが多い。
これは事実だ。
が、ネコを侮ってはいけない。
ある部分については、決定的に優秀だったりする。
単体での狩猟能力なら、ネコが完全に上。
最強のネコと戦えば、最強のイヌでも負けるだろう。
短距離の速さで、チーターに勝てる陸上生物はいない。
嗅覚では完全にイヌが上だが、とくに夜の視覚ではネコの圧勝である。
ネコはネコなりに、非常に優秀なのだ。
ただ、脳がスカスカなので、群れることができない。
すぐ忘れる。
マルチタスクも苦手。
多くの能力で、イヌに劣っていることを認めざるを得ない。
まるで私のようだ、と思う。
自分は、くだらぬ駄ネコの一匹だと理解している。
できないことの多い私ごときネコは、自分にない多くの能力を持つイヌに、心から憧れる。
私はある種の障碍者(コミュ障)なので、他人との関係をうまく維持することができない。
個人的には、「できないんじゃない、やりたくないだけだ」と強弁することもできるが、ぶっちゃけ、それは「できない」のといっしょだ。
以前、ヘビースモーカーが「俺は禁煙できないんじゃないよ、したくないだけ」と言い張っていたが、まったく同じ理屈だ。
ついでに言えば、ネコの睡眠時間は12~16時間。
三大欲求の割合が、明らかに睡眠欲に傾いている私と、これほど符合するやつらもおるまい。
前世はネコだったにちがいない……。
というわけで、できないことが多いとはいえ、部分的には、見るべき能力も持っているはずだ、私ごときネコも。
……たぶん。
しかし、人類社会で最も尊ばれるべき能力は、社会性だと思われる。
集団行動ができないというのは、致命的な欠陥なのだ。
だから私は、それができる人々を尊敬する。
基本的に、自分にできないことができる人間は、尊敬しておくに限る。
そうすれば自分も、他人にできないことをやろう、というモチベにもなるからだ。
ネコ脳の私は、イヌを尊敬する。
彼らの高い集団性、忍耐力、記憶力、忠誠心、それら多くの特性に対して、憧憬のまなざしを向けよう。
あのイヌ、立派な忠犬さま、私は眠たい、ネコ頭♪
私が、イヌ派であるにもかかわらず、ネコのアイコンを使用する、それが理由だ。
もちろんネコも好きだし、実家で飼っていたこともあるが、現在は飼っていないし、飼うつもりもない。
自分の面倒を見るので精いっぱいなので。
このへんも、自分の低能っぷりを思い知るところだ。
スカスカ脳のネコは、単独行動しかできない。
まあ他人に迷惑をかけていないだけ、よしとしよう。
以上、哀れなネコ、イヌに憧れる、の巻でした。