長浜は 家持が属目 した穴水

穴水町歴史民俗資料館(休館中)

長谷部信連の子孫・長氏(穴水城主)一族のことがよく分かる

東四栁史明(宮司):日本の歴史学者、金沢学院大学名誉教授

畠山氏、郷土史の研究書多数

信連の子孫は能登国穴水の国人として存続し、長氏を称して能登畠山氏、加賀前田氏に仕えた

また、曹洞宗の大本山である總持寺の保護者となり、その門前町を勢力圏に収めて栄えた

平家滅亡後、源頼朝より安芸国検非違使所に補される

大屋荘(現在の輪島市〜穴水町にかけての地域)の地頭職に補任された

文治2年(1186年)、穴水城主として入城する

八重桜 手まりのごとく 風にゆれ

忠縄輝雄:45年間、穴水在住医師として文化と医療の発展に貢献されました

珠洲の海に 朝開(あさびら)きして 漕ぎ来れば 長浜の浦に 月照りにけり・・・大伴家持

原文:珠洲能宇美尓 安佐妣良伎之弖 許藝久礼婆 奈我波麻能宇良尓 都奇氐理尓家里

長浜湾は現在の穴水の入り江で、早朝に珠洲を出立し、その夜、穴水で船泊した

波静かな海面を照らす月の光を仰ぎ見て愛でた。能登万葉の世界において穴水湾は家持が属目した地でもあった

万葉集巻十七には家持が能登で詠った五首が収められている

穴水町有名人:坂本三十次(政治家)、遠藤関

千枚田 観光復興 頑張るぞ

千枚田野焼き

農薬や肥料のない時代には行われていたでしょう

害虫駆除にも効果があるでしょう

サイクリング、ツーリングする観光客も増えてきています

例年刈取りが終わると畔にイルミネーション点灯された

法面工事現場

ボーリング調査をしているのでしょうか?

遊歩道は利用できません

1日も早く復興に向け頑張ります

片側交互通行

個人観光客が増えてきています

兵庫県から見えられた親子連れ

大津から見えられたカップルは千枚田米を買うため開店を待っておられました

来迎寺 肖像刻み 安置する

信連公が建保(けんぽ)6年(1218)の逝去に先立ち自作の肖像を刻んで大町来迎寺の御影堂(みえいどう)に安置したのが、当社の起こりという

江戸時代には武健(ぶけん)大明神と称し、昭和10年由縁深い穴水城の麓の現在地に移転した

摂社

長谷部信連(はせべのぶつら,生年未詳 - 建保6年(1218年))は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士。右馬允・為連の子

人となりは胆勇あり、滝口の武士として常磐殿に入った強盗を捕らえて、その功績により左兵衛尉に任命された

のちに以仁王に仕えたが、治承4年(1180年)に王が源頼政と謀った平氏追討の計画(以仁王の挙兵)が発覚したとき、王を園城寺に逃がし、検非違使の討手に単身で立ち向かう

奮戦するが捕らえられ、六波羅で平宗盛に詰問され屈するところなく、以仁王の行方をもらそうとしなかった

平清盛はその勇烈を賞して、伯耆国日野郡に流した

平家滅亡後、源頼朝より安芸国検非違使所に補され、能登国珠洲郡大家荘を与えられた

子孫は能登に存続し、長氏を称し前田氏に仕えた

今にも倒れそうな忠魂碑

周囲の囲いも壊れてます