宮の上 要害も寝返り 敵迫る

1993年に完成した三木市役所

完成後は特異な外観の庁舎であることから他都道府県からの視察が相次ぐ

三木市立図書館

モニュメント「想望」

宮ノ上要害跡

浄水槽があるだけ

築城年代は定かではないが別所氏によって築かれた。 三木城の支城の一つで、三木合戦では岡村氏が守備していたが、天正8年(1580年)1月7日に織田方に寝返った

宮ノ上要害は三木市役所の南にある標高101.2mの東西に伸びた山に築かれていた。現在は三木市上下水道の敷地となっており、遺構は消滅している

午前の部終了。長曽我部さんとはここでお別れ

三木市文化会館で昼食(30分)を取りました

午後の部スタート

鷹尾山

三木スケートボードパーク

三木山

走馬の儀 糺の森を 疾走す

神馬が駈ける

疾走する馬に乗りながら鏑矢(かぶらや)で的を射る「流鏑馬(やぶさめ)」は、古来行われてきた日本の古式弓馬術です

武家社会で行われた馬術と弓術を組み合わせたもので、日本の伝統的な騎射の技術・稽古・儀式のことを指します

全国には、お祭りの神事の一つとして流鏑馬の奉納を行う神社がいくつかありますが、下賀茂神社は「日本三大流鏑馬」に数えられている

鶴岡八幡宮流鏑馬神事
源頼朝が催行したのがそのはじまり。その後、神事の武技として各地で奉納されるようになった流鏑馬の源

若一王子神社の流鏑馬は、平安時代から戦国時代にかけてこの地を治めていた仁科氏によって、五穀豊穣の祈りとして続けられてきました

始まりは1221年(承久3年)、後鳥羽上皇が北条義時追討の命令を出した時のこと

院の西面の警護を仰せつかり上皇に忠誠を誓った仁科盛遠が、出陣に際して武運を祈るため奉納した流鏑馬だと伝えられています

また、京都と深い関わりがあり、京都賀茂神社の流鏑馬にも造詣が深かった仁科氏が、これを支配地であり故郷でもある大町に伝えたともいわれています

どれもその土地ならではの歴史や特徴があり、衣装なども異なっています

歴史的背景に思いを馳せながら、勇壮で迫力ある流鏑馬を間近で見るために出かけてみてはいかがでしょうか

新緑に舞う土煙も美しい

馬場には盛土が撒かれている

勇壮

凛々しい

 

二十二所社

目の前を駆け抜けていく

中尾台 風光明媚な 眺望

名舟・尊利地迂回路から日本海

唐笠山から岩倉山

八ケ岳落葉松並木みたい

崩れた崖のガベに関心が集まる

道路を覆っていたガベを除去した

名舟港

水害では瓦礫の山が出来た

谷内出口

南志見橋

大阪から来たという青年

ココハサトマチで朝食

カウンター席を含め24席

尊利地ハイクの後だったので腹が減っていた

ご飯と味噌汁が付いた