奥の院 空海が祀りし 弁財天

霊山寺 奥之院「大弁財天」鳥居

真っ赤な鳥居の中央に「大辯才天」の文字

平安時代に弘法大師空海が来院し、登美山に力の強い龍神がいると感得され、奥の院に大辯才天女尊として祀られた

仏教では、鳥居は天部の諸神を祀るところに立てられ、結界を表し、内部は浄域となる

3つ目の鳥居

光仁年間(1200年前)弘法大師が龍神を祀った

千数百年に亘り霊山寺を守護されている

5つ目の鳥居

奥の院大杉

樹齢800年

パワースポットとして注目されている

長命寺 人間が作りし 仏の御手

鐘楼から境内

護法権現社本殿・拝殿・三仏堂・本殿・三重塔

静かな佇まいでした

天台宗・山号は姨綺耶山

第31番札所

重要文化財「護摩堂」

天下泰平宝祚延長長寿開運所願成就を祈祷する道場

重要文化財の本堂は、永正13年(1516)の焼失後、大永2年~4年(1524)にかけて再建されたことが勧進書に記されている

庫裏の向うは琵琶湖

三仏堂

立入禁止看板

鐘楼

煩悩を祓うため一撞きさせていただきました

本堂は、昭和のはじめに解体修理が行われています

国指定 歴史の舞台 文化財

有子山の山頂に、出石の城下町を見守るようにたたずむ有子山城跡

2024年で築城から450年を迎えました 

下山開始

東西約740m、南北約780mにおよぶ大城郭で、時代の異なる石垣が大規模に残る

曲輪や竪堀・堀切などの遺構が数多く残されている貴重な史跡です

落城後は、羽柴秀長(のちの豊臣秀長)、前野長康、小出吉政、小出吉英が城主を務めました 

吉英の時代になると、各地の戦乱は沈静化に向かい世の中は安定し始めます

そうなると、険しい山城は領国経営上不便なため、山麓にあった居館を改修して出石城を築き本拠としたことから有子山城は廃城となりました

荒々しくも美しい野面積みの石垣、主郭と千畳敷を隔てる大堀切や各所に配置された竪堀・堀切 

石垣も場所によっては隅の角度が鈍角に広がるシノギ積みとなっているなど、手を加えられた時代ごとの特徴を見つけることができます

1996年に此隅山城跡とともに「山名氏城跡」という名称で国指定史跡に指定されており、2017年には「優れた文化財・史跡であること」「著名な歴史の舞台であること」「時代・地域の代表であること」が認められ、山麓の出石城跡とともに続日本100名城にも選ばれました