播磨地名 針間別命 由来かも?

姫路のシンボル・豊臣兄弟

城の背後には廣峯山から増位山の山脈が屏風のように連なります

JR播但線野里駅

2025年4月より無人駅

豊臣秀吉・池田輝政の城下町割以来、商業・職人の町として、また但馬道の窓口として栄えた町、今も虫籠窓があ伝統的な町家が見られます

1894年(明治27年)播但鉄道の駅として姫路駅 - 寺前駅間開通時に開設

銀の馬車道

より速く、より安全に、生野から飾磨津の間、約49kmを結ぶ夢の道路

野里の一帯は『播磨風土記』においては「大野の里」と呼ばれていた。この頭の「大」が取れて「野里」となったと言う

姫路城野里門跡が残っています

白国墓地に咲く曼珠沙華

増位山随願寺入口

佐伯神社

主祭神:阿良津命(アラツノミコト)

ムクノキの巨木(姫路市の指定保存樹)

祭神三座の中、稲背入彦命は景行天皇の皇子。播磨地方の開祖として針間別命とも称せられる

その子阿曽武命は、神功皇后三韓征伐の軍に従って多大な功績を挙げられた

稲背入彦命の御孫・阿良津命は、応神天皇針間巡幸の際、命により当時市川の川上にあった集落を統治された。この功により、佐伯直の姓を賜った

国宝が ロングランヒット 永楽館

映画『国宝』のロケ地「永楽館」

映画『国宝』が異例のロングランヒットとなり、何回もリピートする人が続出しました

舞台の床は丸く直径6.6メートルに切り抜いてあり、廻すことが可能な廻り舞台になっています

この舞台下へ移動すると、奈落(ならく)があり、人力で廻す機構を間近で見ることができます

主演の吉沢亮と横浜流星が女方に扮して歌舞伎を演じる場面は、特に圧巻でした

その劇中劇を撮影したロケ地を訪れるのが、今ブ—ムとなっています

口コミで来館されるようになり、連休の期間には、過去最高の1日1200人の日もあったという

この芝居小屋では2階が楽屋で、下が道具部屋になっています。これは他の芝居小屋では見られません

この芝居小屋は、出石高校の文化祭での演劇発表の会場になっています

その公演時には、廻り舞台を使っています

奈落とは「地獄」を意味する仏教用語が語源で、「奈落に落ちる」という表現もここから生まれたとされています

豊岡市ではこの公演を継続させるために、「ふるさと納税」で応援してもらう試みも始めました

美しく舞う「二人藤娘」の艶姿が脳裏に焼き付けられています

賣太神社 養田猿女田 祖神祀る

稗田環濠集落の端にある式内社で社格は県社

古事記編纂に携わった稗田阿礼を主斎神(主祭神)、天鈿女命、猿田彦命を副斎神(配祀神)として祀る

稗田阿礼命は学問の神、物語の神

天鈿女命は芸能の始祖神

猿田彦命は土地・方位の神であり、天鈿女命(アメノウズメノミコト)の夫神である

稗田阿礼は猿女君稗田氏の出で、天鈿女命は猿女君の祖神・氏神である

稗田は天鈿女命を祖とする猿女君稗田氏の本拠地であり、祖先の廟祠として推古朝時代までには創建されたものとみられる

奈良時代には、稗田集落西辺に、平城京に通じる水陸両用の主要幹線道路である「下つ道」もあり、そこから多数の祭祀道具が発掘された

かつてこの神社は平城京羅城門の付近に存在しており、都に出入りする人々の穢れを払い、また、交通の安全を祈願する神事の場所でもあったことから、道祖神としての役割もあったとされる

延喜式神名帳に「大和国添え上郡 賣太神社」と記載され、小社に列している

社名の由来として、猿女君が天皇より多くの養田を賜り、その田を猿女田と呼び、その持ち主を猿女田主と呼んでいたため、

後に「猿」の字を略して女田主と呼ぶようになり、その祖神を祀るこの神社を「賣太神社」と称する事になった説が有力である