顕如が 隠居により 分派する

白書院廻廊

能舞台庭

庭園

内事洋館

渡り廊下

ホープシー:コロラドトウヒ(葉は銀青色)

菊門、視聴覚ホール屋上

真宗本廟内で最も古い建物「大寝殿」

天正19年(1591)、法主で本願寺11世の顕如は、豊臣秀吉により新たに寺地の寄進を受けると本願寺を大阪天満から京都堀川六条に移転させた

慶長7年(1602)、後陽成天皇の勅許を背景に徳川家康から、豊臣秀吉の命により本願寺の寺内で隠居所(御影堂と阿弥陀堂もあり)を設けて、北方に隠居させられていた教如(顕如の長男)へ烏丸七条に寺領が寄進された

これにより本願寺は正式に准如(顕如の三男)の西(本願寺派)と、新たに分派してできた教如の東(大谷派)に分立した

門主は、大谷暢裕(修如)

秋近し 王子巡りの 紀伊路かな・・・幸師

9月21日9:00分、有田郡湯浅駅

令和5年5月、旧駅舎に飲食店を誘致し、観光客や地域住民の交流の場としてリニューアルオープン

旧街道道標

湯浅町満願寺山門

「醍醐寺(京都)の金堂は、かつては湯浅町にあったんだよ!」・・・本当😲

当寺古文書によると、後白河法皇草創の勅願寺で七堂三十六坊の霊場であった

天正13年、豊臣秀吉南征の時、高野山應其上人が豊太閤に乞いて、本堂は山城の国醍醐に移し、

本尊は高野山へ、仁王は那智山へ引き移せりとある

豊臣秀吉が「醍醐の花見」の為に移築を命じたのですが、秀吉は金堂の完成を見ることなく死去

勝樂寺道標

満願寺の奥の院だったとも

その後は息子の豊臣秀頼に引き継がれ、慶長5年(1600年)5月3日工事が完了

湯浅町では、工事が完了した5月3日を移築記念日とする「醍醐寺金堂の移築記念日条例」が平成26年に制定されました