広村の 震災復興 一手に負う
濱口梧陵碑(和歌山県文化財)
地元にお住いの佐々木さんがご案内してくださいました<m(__)m>
醤油醸造業を営む濱口儀兵衛家(現・ヤマサ醤油)当主で、津波から村人を救った物語『稲むらの火』のモデル
広村の復興と防災(全長654mの堤防建設など)に投じた4665両という莫大な費用は全て彼の私財で賄われた
商人身分ながら異例の抜擢を受けて紀州藩勘定奉行(のちの出納帳に相当)に任命され、後には藩校教授や大参事(のちの副知事に相当)を歴任するなど、藩政改革の中心に立って紀州藩・和歌山県経済の近代化に尽力した
明治26年(1893年)4月に濱口梧陵の遺徳を称えるために子息の勤太が建立したもので、梧陵と生前に親交があった勝安芳(海舟)に依頼して撰文と題額の揮毫を受け、彼の生涯の事績や徳行を称えた711文字が刻まれている
本文の書は貴族院勅撰議員で明治三筆と呼ばれた書家巌谷修、刻字は東京市向島須崎町(現在の東京都墨田区向島)に工房を構えた碑刻師宮亀年
地震と津波で家や職を失った人々を雇用し衣食住を提供した
明治18年(1885年)に念願であった世界旅行に出発したが、アメリカ合衆国のニューヨーク市において客死した(64歳)
































