弁天社 沓掛王子が 移祀された

古道から一段高い所にある題目板碑

熊出没注意看板

広川町で全く見かけなかったが日高町では数ケ所に立てられていました

江戸時代の宿場「金魚茶屋」跡

田んぼの土手には彼岸花

ここからは平坦なアスファルト道

紀伊内原までが遠かった

古い石垣が残る弁財天

古い歴史を感じさせる場所

その先に沓掛王子

鹿ケ瀬峠を下りきったあたりを古い地名で王子谷といい、「熊野道間之愚記」(『明月記』所収)建仁元年(1201)10月10日条に「超此山参沓カケ王子」と記された沓掛王子(くつかけおうじ)の旧址である

後世には鍵掛王子(かぎかけおうじ)と呼ばれたと見え、『紀伊続風土記』に「鍵掛王子 山口にあり、境内に弁財天社・長床あり」と記されていることを根拠に、前述の旧址とは別の字被喜の弁財天社(日高町原谷845)社地が社址と見なされてきた

しかし、「熊野道間之愚記」の記述と矛盾することや、王子谷に古くから小祠があって祭祀も行われていたことなどから、時期は不明ながら弁財天社に移祀されたものと推定されている

枳殻邸 渉成園 隠居所

渉成園は東本願寺の飛地境内地の庭園

傍花閣:楼門づくりで左右側面に山廊と呼ばれる階段があり、階上には四畳半の部屋を設けている。傍には桜並木が広がる

庭園には四季折々の花が咲きほこり、変化に富んだ景観は「十三景」と称されています

1936(昭和11)年には、文人趣味にあふれる仏寺庭園として、国の名勝に指定されています

17世紀半ばに徳川家光の寄進地に建てられた、東本願寺歴代門首の隠退所

東本願寺の東方約150メートルに位置し、ほぼ200メートル四方の正方形をなす

名称は、中国六朝時代の詩人陶淵明の「園日渉而成趣」の詞にちなむ

また、周囲に枳殻(カラタチ)が植えてあったことから、「枳殻邸」(きこくてい)とも通称される

9世紀末末に嵯峨天皇の第12子・源融が奥州・塩釜の風景を模して作庭した六条河原院の故地とされる

印月池:東山から上る月影を水面に映すところから

付近に今ものこる塩竈町や塩小路通などの地名は、その名残り

侵雪橋:北大島へ渡る反橋。頼山陽は雪の積もった橋のありさまを玉龍にたとえていっます

承応2年(1653)、石川丈山によって書院式の回遊庭園として作庭される

以後、近世・近代を通じて門首の隠退所や外賓の接遇所として用いられる

縮遠亭:北大島に建てられた茶室。上段は床を高く支えた舞台造り

全敷地の6分の1を占める広大な印月池をはじめとする頼山陽撰の十三景が広がり、大書院の閬風亭や、漱枕居・縮遠亭・代笠席の3茶室、第二十一代嚴如(大谷光勝)の阿弥陀如来像の持仏堂であった園林堂等、瀟洒な諸殿舎が点在する

熊野古道 最長の 石畳

大峠から約20分で小峠に着いた

古道の中では現存する石畳道最長の503m

幅は1.5m、中世に造られたのでしょうが雨に流されることなくしっかり残っている

所によっては落葉で覆われて隠れていた

石畳の石材は、道の周囲の岩盤から採取された砂岩で、長さ約30cm前後のやや小型の石材を敷き、石の継ぎ目が直線状になった箇所が数10m単位で見られ、構築単位を示している

橋の下で顔を洗った

鹿ケ瀬峠を越える一番の近道とある

休憩ベンチがあった

熊野古道公園

三春の滝桜が植えられている

やや荒れ気味