焼失し 秀吉により 再建され

随願寺「本堂」

随願寺の創建は飛鳥時代、聖徳太子の命で慧便(高麗の僧)が開いたのが始まりとされます

当初は出井村にありましたが天平7年間(735)に行基菩薩が諸国巡錫で当地を訪れた際、霊夢に薬師如来の化身が現れ、

増位山に薬師如来を祀るように告げられた事で境内を現在地に移し自ら薬師如来像を彫り込み安置したと伝えられています

承和元年(834)、仁明天皇の勅命により法相宗から天台宗に改宗し、嘉承2年(849)に増位寺から随願寺に寺号を改めています

承和元年~嘉祥2年(834~839)伽藍整備で諸堂造営・藤原不比等建立の毘沙門天堂の補修が行われている

その後、寺運が隆盛し最盛期には36坊を擁する大寺院となり播磨六山(円教寺、随願寺、八葉寺、神積寺、一乗寺、普光寺)に数えられ、

宇多法皇、白河法皇、平清盛、源頼朝などからも庇護を受けました

天正元年(1573)、別所長治による兵火で多くの堂宇が焼失したものの、仏像や寺宝、僧侶などが嵐山や佐土村などに逃避しています

天正13年(1585)、豊臣秀吉が再興し多くの堂宇が再建され、江戸時代以降は歴代姫路藩主から庇護しました

特に榊原忠次は菩提寺として整備し金堂(本堂)などの堂宇を造営しています

播磨西国三十三箇所第4番

播州薬師霊場第15番

質実剛健な作りです

天井図絵