有子山 藤堂高虎 築城か?
有子山主郭・本丸跡
秀長さんと
天正8年(1580)、祐豊の子の氏政が城主の時、羽柴長秀(後の秀長)の但馬侵入によって城主の氏政は因幡国に出奔した
三等三角点321m
こんな堅牢な城で戦いを避け因幡へ逃げたのですか
威容を誇る有子山城跡の石垣ですが、山名氏時代には石垣は存在しませんでした。では、いったい誰の手によるものなのでしょうか?
一説には、有子山城の石垣は、築城の名手・藤堂高虎の手によるものだと言われています
高虎の一代記である「高山公実録」には「28歳の時に、羽柴秀長から出石(有子山)の築城を命ぜられた」という記述が残っています
馬場信春、明智光秀、黒田官兵衛、加藤清正と並び、戦国屈指の築城の名手であった高虎
高虎が最初に手掛けた石垣の城が有子山城であった可能性があり、さらなる研究が期待されます
主郭を中心に三方向に延びる尾根に放射状に曲輪および竪堀、堀切を配した堅固な山城
現在でもその威容を楽しむことができるほか、主郭からは素晴らしい眺望が楽しめます










