有子山 険しい直登 心して

国の史跡「有子山城」

続日本百名城

天正2年(1574)、山名祐豊が築城したとされる

一時、六分一殿として知られた山名氏は元来此隅山城を居城としていた

永禄12年(1569)、織田信長配下の羽柴秀吉の攻撃を受け落城したため、堺から帰国した有子山に城が築かれた

六分一殿:源姓新田氏族山名氏。山名郷(現在の群馬県高崎市山名町周辺)を本貫として山名三郎と名乗ったことから、山名氏を称した。全国66か国のうち11か国で山名氏が守護領国となり「六分一殿」と呼ばれた

ロープ場が何カ所かあります

観光気分では無理です!

北第六曲輪跡まで直登が続きます

スニーカー以上は必携

雨天時は登るのは止めましょう

落城した此隅城が「子盗」(此隅)を連想させることを嫌って「有子」と名付けられたという

山頂に主郭があり、主郭の西方に6段の階段状の郭、主郭の東南に千畳敷と呼ばれる郭が置かれた