但馬守護 山名氏治めた 城下町
梯郭式の平山城で、江戸時代には出石藩の藩庁が置かれた
城跡は「出石城跡(平城)」の名称で豊岡市指定史跡となっている
また、有子山城と一体で「出石城・有子山城」として続日本100名城の162番に選定されている
山名氏は南北朝時代以降、但馬国を支配、本拠となった此隅山城の築城時期は史料上確定しておらず、山名時義、山名師義、山名氏義による築城など複数の伝承がある
本丸西隅櫓
二ノ丸石垣
下の曲輪跡
1569年(永禄12年(1569)、織田信長の命を受けた木下藤吉郎らによる但馬侵攻で此隅山城は落城した
城主の山名祐豊は堺へ逃れたが、同年冬、今井宗久の仲介により信長と和睦し、但馬へ戻ったとされる
本丸西隅櫓
祐豊は天正2年(1574)ごろ、此隅山城から約3.5キロメートル南に位置する標高321.5メートルの有子山に有子山城を築き、本拠を移した
山麓では城主の居館や城下町の整備も進められたと考えられている











