大石りく 歴史運命に 翻弄され

旧豊岡藩主京極家屋敷

寛文8年(1668)、丹後国田辺藩より京極高盛が3万5千石で転封となった

この際、京極家は城主大名から無城大名に降格となった。陣屋の建設にあたり幕府より金2千両が与えられた

大石りく女生誕之地 石碑

赤穂義士の首領大石良雄(よしたか)の夫人りく女は、寛文九年(1669) 豊岡京極家の家老・石束(いしづか)源五衛毎公(つねとも)の長女に生まれた。その生家石束家の場所は、この一帯である

りく女は天性賢明にして貞淑、年十九才で赤穂浅野家家老・大石家に嫁いだ
赤穂藩の大難後、夫良雄に仇討の謀成るや、長男主税を残して山科より一男二女を連れて豊岡に帰り、夫に後顧の憂なからしめ、父と共に日撫正福寺に住んだ

義士が本壊を遂げた後は、剃髪して香林院と称し、ひたすら夫や長男や義士たちの冥福を祈った 

やがて、帰豊後生まれた代三郎が長じて広島浅野候に仕えるに及んで彼の地に移り住み二十有余年仏恩報謝に生き、元文元年(1736)11月、68を以って死去。その地国泰寺に葬られ、ここ豊岡の正福寺には遺髪を埋葬した

よいだばし

ひまわり公園

宵田いと跡

とゞ兵

廃業した老舗高級料亭を複合施設として再生し大型歴史的複合施設「とゞ兵」として生まれ変わった