順慶 大和守護に 苦労する
秀吉が光秀の遺産を継承(丹波や近江坂本を領有、筒井・細川氏を服属)
天正11年(1583)郡山城の天主が完成、越智氏を平定
桜御門石垣
天正12年(1584)羽柴秀長らと伊勢・尾張へ出陣、死去(36歳)
中世VS近世
大和と紀伊、信長一族、尾張衆)が支配できなかった地域を任される秀長
信長がなしえなかった大和・紀伊を秀吉が秀長に統治を任せた
近鉄電車
羽柴御三家 秀吉・秀長・秀次
大和郡山城ホール
信長は子供重視 信忠・信雄・信孝
原田(塙)直政、南山城・大和、松永久光と組んだのが間違い
月輪
京都・・・公家、大和・・・社寺、鎌倉・・・武士 統治の役割があった
軍配を挙げる秀長
久秀が評判悪いのは、久光の後始末
大和武士たちは同じ興福寺の仲間であって順慶の家臣ではない
日輪
町衆の評判・・・秀吉は天皇に、秀長は関白に
桜井高校書道部作











