目まぐるしく 動く情勢 大和国

天正8年(1580)明智光秀・滝川一益が城割と検地指示

鰻堀池

筒井城も破却、信長より朱印状(郡山入城、大和を「存知」箸尾氏を与力に)

順慶は光秀の与力として、大和一国を預けられる存在に

天正10年(1582)光秀の娘婿である織田信澄が大和を望むが信長は却下

逸話「洞ケ峠」:順慶は日和見したのか?

6月2日本能寺の変

天守台

6月9日郡山城に塩と米が搬入、秀吉が毛利氏と和睦、順慶が秀吉に味方と噂

内堀北側

6月10日光秀家臣の藤田伝五の説得を拒否

「連成院記録」光秀が八幡ホラカ峠に着陣、順慶の日和見はウソ

6月11日秀吉に味方する旨の誓紙を提出、郡山で「国中与力相寄血判起請在之」

追手東隅櫓

大和衆をまとめあげ秀吉方へ

織田信孝・秀吉・丹羽長秀・池田恒興は光秀打倒に軍勢を集中

内堀石垣

6月13日信孝や秀吉・長秀より出陣の指示、光秀が敗死

追手東隅櫓